ちゃんぽん
佐世保で伝説(?)の街中華 状元楼 台湾系のオーナー兼料理人から店を引き継いで、「ああ、SSBBBA!」という感じのおばさまが店を一人で切り盛りしているのである。サービス業についているSSBBBAというのは、大抵人が好く、細かいところまで眺めながら、づ…
小浜ちゃんぽんの位置付け 小浜ちゃんぽんは日本でも全国区になり、一つの料理のジャンルを確立しているかのようなそぶりをみせているが、なんのことはない、市の観光行政の賜物なだけで、やはり長崎市の華僑からの流れをくんだものである。このため、小浜ち…
諫早の繁華街の中に位置する お食事処 なるほど 創業年代についての記載はどこにもないのであるが、昭和中期であろう。レースのカーテンや藤の衝立、赤いギンガムビニールばりの椅子といい、全てが昭和の中期で止まった様な姿をしているのである。店内の窓枠…
長崎で見られる謎の麺メニュー 長崎には謎の麺のメニューが多い。拌麺はやはり謎であるが、皿うどんもちゃんぽんも結局は四海樓始祖説でまとめられているのであるから、学術的には謎が多い。それぞれで同時多発的に発祥し、それが本流となって、現在までに至…
造船の街 長崎を見守ってきた 酒処・食事処 みやま 1959年創業で、長崎の基幹産業である造船所の至近の店である。飽の浦から立神地区にかけての古い三菱長崎造船所のエリアで営業している。店内には三菱長崎造船所にゆかりの写真がみられ、造船所の営業カレ…
51年目を迎え、地元で愛される中華料理 優 1971年に創業したという川棚の老舗 中華料理 優は地元の人々からも愛されており、用務先のスタッフからも、川棚といえば優というほどであるから、大変な愛されっぷりなのであろう。そして、用務先の人も出前で優…
スープうどんの謎 スープうどんというのは謎の食べ物なのである。5月25日で閉店してしまった慶華園においては、肉絲湯麺としてスープうどんが位置付けられており、各店舗において多様な定義の中で提供されているものであるらしい。有華飯店においてもみら…
五味八珍 大島へのアクセスに欠かせない大島大橋は本土と寺島を結んでいる。この寺島には橋と瀬戸を臨む展望台がある。この展望公園の内部には駐車スペースと三角屋根が特徴的なレストハウスが位置しており、今では五味八珍と呼ばれる中華料理店が営業してい…
ゆらぎのある平戸ちゃんぽんの定義 地名ちゃんぽんがあちこちで観光の目玉としてのイベント要員の地位を占めているのである。町興しのためのアイテム程度の存在であり、定義は大変なゆらぎを有しているので、文化人類学の学術的な意味合いというよりは社会学…
取り残された長崎県営バスターミナル 西九州新幹線の開業が9月23日に迫る中、過去10年ほどの間には、さまざまな再開発計画が出ては消えを繰り返していたが、長崎駅前の県営バスターミナルの再開発は白紙となって現在に至っている。以下の記事によれば、…
長崎新幹線転じて西九州新幹線の開通と駅前商店街 西九州新幹線の開通が9月に迫ってきている。2015年ごろには、新幹線開通の見通しがある程度市民の間でも共有され、駅前商店街エリアはエキマエと呼ばれるくらい、新幹線の開通に伴う需要拡大を見込んで新規…
相浦というところ 相浦は佐世保市域においてはかつての反映が見られたエリアで、早岐や江迎と並ぶ、割合古い町である。20世紀初頭には石炭の積み出し港としての位置を有していた相浦であるが、佐世保が軍港として発展しそれが急速であったため、古くに見ら…
味処 こころ 県庁やオフィルビル官庁街であった、「ながさき」の由来となった小高い細長い岬のエリアは、県庁や県警察本部が移転した今、この丘の周辺事情も大分変わりつつある。昼時にはランチを求めてオフィスビルから人々が周囲の店舗にやってきて、夕方…
中華飯店ながさこ 大村湾Zekkeiライドと称された自転車ルートのルートからほどちかく、住宅街の中に存在する中華料理店である。かつては名前の通り、さまざまな中華料理を出す店として地元でも愛されており、町中華としての立ち位置で営業していた店であるよ…
100店舗達成の暁 ブログを始めて、はや2年ほどとなり、週に一回程度、ポチポチとちゃんぽんのリポートをし続けてきた。たった2年であるが、閉店した店、休業した店もちらほらと見られ、それぞれのちゃんぽん食堂や中華料理店でも小さなドラマが繰り広げられ…
中華料理 華豊 1980年創業の南島原でも唯一の中華料理店である。田んぼの真ん中に黄色の瓦の目立つ、赤い柱の並んだ、中華風の建物が現れる。装飾は中華風であるが、建物の作りは日本的である。二代目が現在の代表を務めている。 畑の真ん中にも見える 中華…
中華料理 黄林閣 昭和の佇まいの中華料理店、というよりも、浦上全体が昭和のころで街はそのままであるようにも見えるのである。近隣には、かつての長崎市立長崎商業高校(長商)、現在の長崎県立総合体育館や長崎市科学館も位置しているが、浦上川の右岸エ…
大黒町エリアの金龍ラーメン 2013年5月7日にリニューアルオープンして現在の状態となっている。2013年の時点で25周年を迎えたという。出前をする旨が店頭に出ている。 2017年時点までは、大黒市場の向かいの金龍も営業していたのだが、大黒市場の閉場と再開…
大村競艇場 競艇発祥の地として知られる大村競艇場である。1952年(昭和27年)4月6日に開場したボートレース場である。大村市の管轄であり、税収への貢献をしていることが大村市民にとっても、どこか話題になる事項である。かつてミスタードーナツで提供され…
中華レストラン 萬寿亭 最寄駅は島原鉄道 幸駅であり、県営バスの車両基地がある厚生町もまた最寄である。日本ハムの工場も近く、この辺りの道路は一日中車の通りが絶えないエリアでもある。関東でも知る人ぞ知る存在になりつつある回転寿司の若竹丸の本店も…
長崎のカオスエリア、浦上 文教地区として、一部には地価の高いエリアもあるのであるが、そこはかとないカオス感を漂わせているのが、長崎市の浦上エリアである。以下の写真をとりあえず、見てみよう。 山東省付近の交差点カオスなエリアであり、歩道にセダ…
2023年7月31日(月)閉店した。アミュプラザのサイトによる(記事は消去されている)。 皇上皇 元々は台湾出身のコックがオーナーとして街中で始めた料理屋が、2000年にアミュプラザの開業とともに移転したという。籠町あたりで店舗をしており、電気も灯さず…
諫早駅前の大衆中華 栄光 諫早駅前には、昔ながらだろう、食堂や小さなホテルを多く見かける。かつての諫早駅は庇の特徴的な一部二階建ての平らではあるが、天井の高い駅舎を持っていた。島原半島、大村、長崎方面と福岡を長崎本線を経由して結ぶ交通の要衝…
長崎駅前商店街のちゃんぽん食堂 うまかもん亭 1990年あたりの創業であるという。地域のお付き合いというのはおくんちの花御礼の札が下がっていれば、わかりやすいのだが、これも地元密着の店舗であることを確認する良い手段だろう。店主や店の誰かの名前入…
長崎県庁庁舎 長らく江戸町に長崎県庁舎は位置しており、その周囲にはビジネス街としての興善町から旧県庁舎における動線が確保されており、周囲には昼の利用を目指した食堂も多かった。これに加えて、思案橋などの繁華街までの距離も近いことから、長崎県の…
長崎県農協会館 長崎の農協事情はどうも複雑そうであり記事とするにはちゃんぽんから遠く離れそうであるから、今回はふれずにおくとして。出島というところについて記す。 オランダ人が出て行った後の出島エリアは、狭い島であることからそれを沖合に埋め立…
千成食堂 沖新町、天神町の海沿いエリアには工業団地や工業エリアとなっている。鉄鋼や配管などの工場が軒を連ねている。そのほか海沿いのエリアではすり身や干物といった食品加工会社が並んでいる。国立佐世保高等専門学校も位置しており、工業団地エリアと…
老李 現在の老李は李宗賢の代である。初代は李明で、1963年(昭和38年)中華料理店『東亜閣』(現在の東亜閣パーキング)に就職したという。台湾料理というが、もともとは南京から台湾に渡った、台湾から見ると外省人の家である。その後、独立し、1980年、長…
大村の山口屋 昭和30年(1955年)創業とされる。国道34号線沿いにある古い中華料理店であるが、周囲が、駅エリアに向けての再開発などが進み、大型のマンションやショッピングセンターが見られる中、赤いヒサシと黄色い瓦がふかれている様は中華的で…
福江港フェリーターミナルの唯一の飲食店 館内各所にメニューが張り出されているのであるから、皆が気がついているであろうが、どちらかといえば、ビジネス利用の出張やトラック運転士などの利用が多いように見える。ターミナルビルの外観からは見えるものの…