#dynamic_Nagasaki

Dynamic Nagasakiを見つめ直します。現在おっさんがちゃんぽん食べ歩いています。

【ながさきのみなと】 厳原港 フェリーターミナル 対馬の玄関口

異国情緒と最果ての長崎県

福江と厳原というのは長崎県民からみても、どこか遠い世界のようにも見える街であった。本土に住んでいるものからすると、気象情報や気象通報で淡々と流れてくる地名であるが、離島というということもあり、遠いどこかであった。

長崎は江戸時代を通して、唯一の国際貿易港ではない

対馬宗氏の城下町に隣接する港として、朝鮮半島との交易の拠点であった。鎖国とは名ばかりで海外との「4つの口」(松前、対馬、長崎、薩摩)による江戸時代の交易体制は1980年代に出てきた理論であるが、長崎と対馬を擁する長崎県はこの頃からの国際貿易港を二つ有していたこととなる。長崎市民は長崎だけが世界に開かれた窓であると思い込んでいるのであるが、その実、交易の実態を振り返ると、蝦夷地との交易の松前、朝鮮半島との交易の対馬、オランダと中国との交易の長崎、琉球との交易の薩摩があった。長きにわたって東アジア情勢はそれぞれの国が「海禁」を課したこれらの間での流通物は経由地ベースでの取引もみられたようであった。長崎市民の考える「国際」というものは欧米以外は世界ではないという世界観のようにも見受けられる。風説書だけで単一情報源からの情報のみで過ごしていた江戸時代の有り様は、現代社会においても日本人の国際性に大きな影を落としており、長崎市民と同様のイメージを持って世界と接するものは案外多いのかもしれない。

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厳原港 国際フェリーターミナル

厳原は朝鮮半島向けの貿易港であったが、同時に対馬宗氏は江戸期日本で唯一の在外公館とも言える倭館を釜山に設置しており、日本と朝鮮の外交も担っていた。偽書作成など、様々なスキャンダラスな出来事も記録にはあるが、ここでは触れない。

欧米への自由貿易、情報の自由化の進んだ明治以降、厳原は1882年(明治15年)に長崎税関の出張所が設置された。対馬において興味深いのは万関瀬戸であり、対馬の東西はもともと島を隔てて、完全に分離されていた。ここを日本海軍が掘削し、人口の瀬戸として開通させ、東西を船により行き来ができるようにした。

現在では、本土と言っても、福岡であるが、博多港と離島を結ぶ拠点である。Covid-19下では運行は停止されているが、それ以前は釜山との定期航路も引かれており、韓国人観光客の来訪も多かった街であり、その名残りで韓国人資本の宿泊施設や飲食店などが存在する。

厳原港フェリーターミナル

国際ターミナルと国内ターミナルに分かれており、隣接している。天井は高く、どこか寒々しいデザインのターミナルである。飲食スペースは用意されていないため、厳原の街中まで出ていく必要がある。

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厳原港 国内フェリーターミナル 待合

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厳原港 国内フェリーターミナル 商店

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厳原港 国内フェリーターミナル チケットカウンター

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厳原港 国内フェリーターミナル エントランス

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厳原港 フェリーターミナル 場内案内

 

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厳原港の定期航路は博多港とを結ぶ九州郵船のジェットフォイル便とフェリー便のみが現在は運行されている。

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厳原港国内フェリーターミナル

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厳原港に停泊する九州郵船 フェリーちくし

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厳原港 国内フェリーターミナル ジェットフォイルの搭乗口 二階へ搭乗する

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厳原港に入港する 九州郵船 ヴィーナス
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