ヒトは「ながさき」に来るのか? 分断のながさき 200記事投稿によせて
長くにわたりブログの記事を読んでいただいている方、多くのブログ記事を読んでいただいている方はお気付きだと思うが、この「ながさき」という概念はどうも難しい。観光で来るにしても、食事をするにしても、どうも、収まりが悪い。
「ながさき」と言っても長崎県、長崎市とまず二つがあり、南部の一部の地域をさす長崎には長崎市があり、古くには県庁(幕府の長崎奉行所)を突端とする県庁坂の丘を大きな岬とした長い崎から由来している。長崎県は、旧大村藩領の大村市周囲と西彼杵半島、旧平戸松浦藩の県北エリアから壱岐、旧対馬藩の対馬、旧五島藩の五島市、旧鍋島藩の領地は諫早市から一部島原半島と野母半島の一部深堀エリア、旧島原藩の島原半島に、天領だった長崎市旧市街地(戸町より南部は各藩の領地がモザイクとなっていた)と六藩と天領が一つになった歴史的経緯がある。この長崎県であり、ひとくちに「ながさき」としてしまうのを、案外長崎市以外の人々は好まない。
そして、案外、長崎県民としての自覚に乏しいところもあるため、長崎県に行ったことを県に所縁のある人に話す際には、安易に「長崎に行った」とは言わない方が良い。長崎市民は長崎の概念を拡大する傾向にあるが、不都合があると急速に殻を閉じ、長崎市とその他長崎県下の線引きを色濃くする傾向にある。長崎市とそれ以外、として回るのも良いのかもしれない。
分断のながさきを歩いて、長崎としての概念を統合させる
「ながさき」と聞くと、教会堂、原子爆弾、ちゃんぽん、皿うどん、出島などが出てくるようで、異国情緒という言葉とともに平和都市とする人も多いだろうが、これは長崎市のごく一部を見ているに過ぎず、イメージに合わせて、上辺だけをサラリとさらって帰るといいだろう。
さて、「ながさき」に観光でみえる人々(長崎市ではキンシャッタという、佐世保では来(コ)ラシタという)は何をしたいのだろうか?リピートで来ていても、まとまりのない、長崎市の観光地をただ回るものもいるだろうし、あまり深く何かを見て回ったという話を聞かない。そこで今回は、観光編で少しルートでも紹介してみたい。
一度長崎市を修学旅行や短期旅行などで訪れて大抵のものは見てまわったようなものは、その傾向からか、ダークツーリズムの一型から、重苦しいものを感じるだろう。浦上や西坂のキリシタンの殉教・迫害の歴史、原子爆弾投下の歴史などばかりを追うのは、長崎における過去の暗い歴史にフォーカスし、これをフラッシュカードの要領で見ていく修学旅行などでは、祖父母に先の大戦の経験世代のいない現代の中高生には、実経験に基づかない、離れたものの何かとなっているだろう。
「こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ」
— DRK (@limken21) 2020年8月9日
というように、この街には青空は似合わない。どこか生きていることへの後ろめたさも物陰に潜む街である。
立秋を過ぎ、抜ける風ももう秋である。#dynamic_Nagasaki pic.twitter.com/tMDGdOtU4G
これは私の経験からもそういう印象であった。長崎市の観光地は、保育園の共用の玩具箱のように、どうしようも取り止めもなく、ただ何を見たのかの記憶も定かにならない、定かにしたくないようなものが多い、どこか悲哀に満ちたものが多い。修学旅行では似つかわしくなく重苦しくなる史跡が多い長崎市では、知性や教養だけではなく、静けさや考え直すゆとりがどこかに必要であると思っている。原子爆弾だけではなく、他のキリシタン関連の史跡でも長崎の鐘のフレーズが噛み締められるところが多い。あえて、これらを外したテーマを設定し、長崎県の全域にまたがるような見所を選んでいる。詳細の歴史はここでは記さず、大まかな流れの上で、何を見ていくのかを記すのみとする。
行程上のアドバイス
最後にルートを組む際にいくつかアドバイスを記す。
- 国定祝日は避け、市内のイベントもそれが目的でなければ避け、できれば平日が良い。
- 健康上に不安のあるものは、5月以降、10月までは避ける。
- 長崎市内での運転は避ける。
みなとを巡る
みなとながさきといっても、鶴の港は、現状では何もない。国際貿易港としての船舶もおらず、五島への航路の出発する港で、港外に小さなコンテナヤードと油槽がおかれ、造船も斜陽で、長崎港もかつての繁栄はない。Covid-19下で国際クルーズ船は入港しないため、一時の虚飾めいた華やぎもない。このコースでは、佐世保の軍港としてのありよう、平戸の漁港化した国際貿易港、三重の長崎新漁港を訪れることとしたい。
気分だけは夏休み!と
— DRK (@limken21) 2021年7月13日
朝早く起きて刺し定食べて、漁港の汚い海を見ながら、甘鯛の唐揚げを定食にし、帰りにのんびり針尾の海を眺めて。早起きして市場に出るなど、小学生の夏休みではないか。
本当の夏休みはいつ来るのだろうかw#dynamic_Nagasaki pic.twitter.com/KyMDgcFe4T
甘味を巡る
シュガーロードとしても知られた小倉街道、長崎から小倉に至るまでの街道沿いには多くの甘味の名産が残されている。長崎市内は大して面白い店舗はなく、ただのカステラだけを売るに成り下がったカステラの街であるから、甘味の街とするには対して興味深くないため、さほど大きく取り上げないこととした。
炭鉱を巡る
あまり大きく知られないことであるが、長崎県は石炭の産出が見られたところであり、県北から県南にかけてその分布は幅広い。長崎県は軍艦島として名高い端島はもちろん、五島灘に浮かぶ池島、大島から県北の北松炭田群に至り、広範な地域で石炭が産出された歴史を持つ。池島を最後に、全ての炭鉱は閉鎖となり、特に北松浦郡に多く見られた炭鉱は現在では忘れされてしまった。