国境の島、対馬を走る
本土とも違い、どこか、朝鮮半島のような、地質を感じる、対馬は、全体的に山がちで、シダ状に入江が多く集落ごとの行き来は大変であった時代があるのであろう。それを感じるようなルートも入れてみながら、対馬を走ってみよう。全て10km前後のルートとしている。
対馬の厳原篇
厳原というと、大抵は、出張で行くものであるから、どうしても東横インに泊まることとなる。出張モードへの切り替えという意味でも、まあ、ここを選んでおくのが良いということもある。
厳原8の字ルート<急峻な坂あり> 10.6 km
阿須の集落の海側と対馬高校の山を8の字に組み合わせたルートである。阿須の単純往復でも、厳原の近辺の海岸線の様子を感じることができ、単純往復でも楽しいルートである。
街中のほぼ一直線のルートでは、厳原の町の様子を感じてほしい。川っぷちの雰囲気などは昭和が息づく、どこか懐かしい厳原がある。
元々の旧道のメインはS状に街を南北に貫いていたのであろうが、現在の景色はまた異なる様相を見せている。
Stravaのルート
- 距離:10.61 km
- 獲得標高:253 m
港町・城下町厳原を感じるルート 8.8 km
江戸時代の対馬というところ、城下町の厳原を感じるには良いルートであろうか。現在の港から、隣の集落へ向かい、船を係留していたお船江跡までを走る平坦なルートである。
お船江、今の漁港、久田へ向かうルートをいく。イカの一夜干しの機械が回る様などをみながら、対馬を感じしてほしい。ちなみにイカの回る機械は、どこかの集落でも時期になると回っているものであるらしく、見つけてみるのも良いだろう。新道と旧道をルートに組み込んである。
Stravaルート
- 距離:8.85 km
- 獲得標高:90 m
対馬比田勝篇
比田勝を走る(権現山を一周するルート) 9.6 km程度
比田勝では東横インに泊まっていた。ここからすぐの三宇田の浜から海沿いを進んで、比田勝の山、権現山を一周するルートである。海の青、日本海海戦の史跡など、見どころが多く、景色も良いのである。
1905年5月27日、Z旗を掲げて、「皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ」と日本海海戦の火蓋を切った。この艦橋の様子をレリーフとして碑が建てられている。この目の前の海で、ロシアの南下を食い止め、日本海における制海権を維持し、日露戦争の終戦と向かう。
Stravaデータ
- 距離:9.68 km
- 獲得標高:129 m
比田勝から周囲の集落を巡って走るルート 15 km程度
小さな集落を縫うように走り、アップダウンも適度なコースとなり、風や波、木々の音や香りなどを感じながら走ることができる。車や人の通行も1時間に数回出会う程度ではあるため、見知らぬ土地をいく不安に駆られることもなさそうである。対馬海峡の海を眺めながら淡々と進んでいくが、山を越えて見知らぬ集落に出会い、木々の開ける瞬間を繰り返していくのも楽しい。また、往路と復路でも同じ道路を通っても見えてくる景色が異なる点も山が海に迫る長崎県らしいルートである。
泉、豊という二つの集落を進んでいくが、一文字の集落というのも、どこか異国情緒のようなものが漂っている。
Stravaではこの辺りのデータをOpenStreetMap上では不完全に有しているためか、設定ができない状態が続いている。比田勝から鰐浦の韓国展望台付近までのコースであり、ここはGoogle mapにて作成しておく。
- 獲得標高: 103m
- 距離: 往復 15km程度