ある日突然発表された、ORCオリエンタルエアブリッジ DHC-8-200ラストフライト
長崎航空からのオリエンタルエアブリッジへの社名変更の同時期に、導入されたDHC-8-201BのORCからの退役が発表されたのは、ラストフライトの10日前、2024年6月20日のことだった。オリエンタルエアブリッジにおけるDHC-8-201は、JA801B、JA802Bと、二機体制で運行が開始され、当初は、現状の離島路線に加えて、福江空港ー伊丹空港、長崎空港ー鹿児島空港、長崎空港ー宮﨑空港と結ぶ便などが開設され、長崎県と各地を結ぶDHC-8-200の姿があった。徐々に廃止され、現在の長崎の離島と本土の長崎空港や福岡空港とを結ぶ路線網を基本に、ANAから移管された福岡空港と小松・宮﨑、名古屋空港(セントレア)と秋田・福岡・宮﨑を結ぶ便をDHC-8-Q400で運航している。DHC-8-201は、長崎の離島と長崎空港を結んできた。Q400はANAからリース導入され、長崎と対馬や五島福江を結ぶ便に投入されることもあった。
離発着の回数が多い短距離離島路線を担ってきたDHC-8-201は限界離着陸回数8万回が設定されており、到達が近づいてきたことから、当面のつなぎとして導入されたのがJA803Bであった。ATR-42-600導入までの繋ぎ機材で、2020年10月2日に飛来し、運用についた。JA801Bは2022年8月23日、JA802Bは2023年9月21日に退役となった。最後に残っていたJA803Bは2024年6月30日にラストフライトを迎えた。
ちょうど一年前、2023年7月1日には新型機ATR42−600が初便就航していた。
諸元
- 製造 カナダボンバルディア社
- 機材型式 ボンバルディア式 DHC-8-201型
- 座席数 39席
- 全長 22.25m
- 全幅 25.89m
- 全高 7.49m
- 巡航速度 537km/h
- 航続距離 1,859km
- 最大運用高度 7,500m
- 最大離陸重量 16.47ton
- エンジン型式名 PW123C
- エンジン推力 2,150 SHP×2基
- 搭載燃料量 3.1kl
オリエンタルエアブリッジ DHC-8-201 ラストフライト 長崎→五島福江
ラストフライト搭乗まで 欠航か、引き換えしか、、、
ちょうど、出張にて福江へ出かける用事があったため、フェリーの利用から航空機利用へと切り替えて、ラストフライト日にお付き合いすることとした。この時期の長崎の離島線は福岡、長崎ともに「天候調査」の文字がつきもので、ラストフライトは案内によると、朝から対馬、五島福江、壱岐の長崎の離島を巡ることになっていた。ラストフライト当日は、朝一便目の対馬往復、51/52便は欠航となっていたし、五島福江線の始発便73/74便は五島福江空港の視界不良のため、欠航となっていた。このような際には島民は慣れており、ジェットフォイルやフェリー便に乗り換え、福岡や長崎を目指すのである。
昨年のATR42-600の初便就航時も、空港の発着案内には、ORCの便名の備考欄に天候調査の文字が並んでいた。今回も同様で、梅雨時の離島航空路の苦労が垣間見できる。
11:40発の便であり、自転車の預け入れ荷物への手続きもあり、10:40には長崎空港到着とした。便の案内モニターでは満席の予約となっていた。ANAでの予約と、ORCでの予約で預け入れ荷物の超過分の扱いが異なり、2kgの超過でANAでは2500円、ORCでは1500円であるという。
手荷物検査場を過ぎて、搭乗口へと向かう。
搭乗口前には地元の方々という雰囲気はなく、大きなカメラを抱えた人々や何やら過去のラストフライトの武勇伝を語らう人々が集結していた。長崎県内の人々はあまり多くはなさそうな便であった。11:10になる頃には、「五島地方視界不良のため天候調査中」の表記から「五島福江空港へ向け出発いたしますが、視界不良のため長崎空港へ引き返すこともあります」へと搭乗口での案内が変わり、出発することは決まった。翌日からの仕事の都合もあるため、フェリー最終便への振替ができそうな、この便がラストフライトの便となって、幸運ではあった。このまま福江へ無事に到達してくれれば、ゆっくり福江での時間があるはずである。
DHC-8-201機内へ
11:25ごろには、事前改札から搭乗案内が開始され、乗客が乗り込んでいく。カメラを抱えた方々は、ANAの上級会員というわけでは無いらしく、Group3あたりで次々に乗り込んでいった。搭乗口1Aからの搭乗で、徒歩にてスポットまで進んでいく。
NAGASAKIの花文字を背景に、ATR42-600がターミナルビル側に滑走路側を機種にして注記しており、その奥にDHC-8-201、JA803Bが駐機していた。
カメラを構えての撮影タイムとなるのはこの手のフライトでのお決まりである。スタッフも慣れたもので、要所要所の案内には通常より多めに人が配置されていた。
機内に乗り込み、オーバーヘッドロッカーというよりハットラックのような手荷物入れや座席の下に荷物を仕舞い込み、「DASH8の表記が上になるようにー」とアナウンスを聞きながら安全ベルトを締める。
周りは朝から遠くからやってきたのか、酸っぱい匂いを撒き散らしているカメラの人々でいっぱいであった。外部エアコンが取り付けられているものの、ラストフライト当日は湿度も温度も高く、団扇が配られていた。ATRになって、外部エアコンはなくなり、搭乗中から、空調が効いた快適な機内になっているのは、離島島民にとっては嬉しいものであるらしい。
くぐもったテープ音声での安全に関する案内を見、スポットを離れてゆく。独特のエンジンスタートで、ターボプロップ音が、機内でのアナウンスをかき消してしまうほどである。振動も大きく、不快ではあるものの、これが最後になるのだと思うと、どこかしんみりしてしまう。
長いタキシーを経て、ランウェイ14からの離陸した。離陸の際は特有の、体が座席に押し付けられるような、離陸であった。3月に小松まで乗ったQ400ともまた違い、古めかしい飛行が始まる。大村湾上空は風が強いこともあり、大きな揺れが続いていたが、高度3000ftに達する頃には、安定した飛行となった。一部では晴れ間ものぞき、夏の海面の青さも眩しい五島灘を進んでいく。
ラストフライトとのことで、搭乗証明書やステッカーが配られ、クルーからのアナウンスでもイベント性が高いフライトであることがわかる。長崎県民の翼、ORCでの社名変更時から飛び続けた機体であり、どこか寂しさが増してくる。
搭乗証明書とステッカーを配り終える頃には、五島福江空港へのアプローチを開始し、雲の中へ入った。福江市街の上空を抜けて、ランウェイ21へ。時刻は12:20であった。
着陸・降機
再び、エンジンが止まり、機内はムッと蒸し暑くなり、ドアが開く音がきこえる。
手荷物受け取り場を出ると、ORCのスタッフの方が、ラストフライトの記念品を配っていた。
壱岐行きの43/44便は無事に飛んだようで、福江線がラストフライトとならずによかったよかった。