長崎県を走る
出張や観光でジョギングシューズを持っていく旅行者は多いだろう。長崎県の各地はそれぞれで特色を有しており、それを楽しんでみてほしい。長崎県には元々多くの藩が存在し、それらのパッチワークのように現在の長崎県が出来上がっている。江戸時代だけを見ても、北から対馬藩、壱岐と平戸松浦佐世保の平戸松浦藩、東彼と西海、大村からなる大村藩、諫早から島原の一部と野母半島の一部からなる鍋島藩、島原半島の島原藩、下五島を中心とした五島藩、長崎市エリアは天領とそれぞれの領主の元歴史と文化を育んできた。それ以前においても長崎市は辺境の漁村であり、大村と平戸、壱岐対馬、五島はそれぞれで領主を抱く土地であった。長崎市のみが「ながさき」であるように思うものは多く、長崎市民は当然そう思っているし、他所の人々もそう考えるものもいるだろう。
ぜひ長崎県での旅行の際は少しでも長崎県の多様性を見てほしい。長崎県内におけるジョギングコースを選定してみたので順を追ってみていこう。長崎市内については以下の記事にて既に記載しているため、そちらを参考にされたい。
佐世保 軍港をトコトコ
佐世保港周回コース
佐世保が軍港に指定され、西海鎮守府が置かれたのは1886年(明治19年)であった。この後、佐世保の海域はあちこちで埋め立てが進み、立神係船池、平瀬係船池などの造成が行われた。対岸の干尽地区も埋め立てが進められている。これらの辺縁をめぐるコースである。干尽エリアについてはしばた食堂の回で書いた。
佐世保駅にホテルが集中しており、この辺りをスタート地点としよう。そこから佐世保湾の入り口の方へ、南下していく。干尽地区へ進んでいき、佐世保国際ターミナル、佐世保みなとインター方面へ進む。前畑地区の倉庫群を、モルトの匂いを嗅ぎながら進んでいくと、前畑地区の弾薬庫前まで出る。そこを折り返し、佐世保駅前方面まで戻る。万津町の旧問屋街を進み、佐世保川に出ると左に折れて、米軍基地のフェンスに沿って進んでいく。鳥居のついている米軍基地のメインエントランスの前を抜け、そのまま進んでいくと立神地区の佐世保重工業(SSK)のエリア前を通過する。赤崎の鹿子前に抜けるトンネル前を戻ってくるコースである。鹿子前に抜けるにはトンネルを抜けるか山越えをすることができる。鹿子前は一般的に見えている佐世保港とは異なり、自然のままの佐世保である西海国立公園の入り口となる。
ミニッツパーク周回コース
ミニッツパークは佐世保市の中心部にある大きな公園である。佐世保川から右岸のエリアは広大であるが、この土地は元々日本海軍の基地であり、この一帯から赤崎エリアまでは軍事的重要拠点であった。旧海軍・第一海兵団の練兵場のエリアであった。元々、総合医療センターの裏手の小高い丘、現在の佐世保公園の一部は横島と呼ばれる島の跡であり、春には桜の花咲く市民の憩いの場でもある。このさらに山側に戦後米兵向けの公園が設置され、チェスター・ニミッツ米海軍元帥に因んで、ミニッツパークと命名された。
佐世保総合医療センターの前の交差点の信号にスタックすることがあるのだけが残念であるが、軽いアップダウンもあり、車通りは多いが、人通りもジョギング目的のものが多く、歩道もそこそこ広いのが良い。所々で樹々の根っこの飛び出しているものがあり、これらは気をつけた方が良い。
平戸 山を縫い、旧い港町をトコトコ
平戸の街は最も「ながさき」らしい。Uの字の深い入江の中に街が築かれており、山がちな斜面を縫いながらジョギングできる環境である。平戸は古くから中国との交易においてその中継点の一つであった。福岡からでも支那大陸へ進むのに、平戸から五島への島伝いに進んでいくルートもあれば、壱岐対馬から渤海を進むルートもあっただろう。倭寇の時代には長崎県内の各所の集落はその拠点の一つでもあった。この独特の地形を見られるルートでもある。
島原 水の流れる街をトコトコ
島原は坂の街である。坂といっても扇状地のようななだらかな坂の中に街が築かれている。島原城下を回るルートとしよう。水の流れる綺麗な街であり、コポコポと水の湧く音を聞くのが私は好きなのである。島原城を周回するコースに白地湖や武家屋敷などを回るコースを設定している。武家屋敷の間を流れる水路や白地湖のコンコンと水の湧く様を眺めて進んでいく。
五島 離島の日本初の海城をトコトコ
石田城は五島福江の中核となる城である。一部に堀が回らされている部分もあり、山側の部分が元々の陸上との接していた部分であり、そのさきは三方を海に囲まれていた。現在では埋め立てが進んでしまい、みる影もないが、石垣にその名残りが見られ、常灯鼻の様子もまた古き時代を思い起こさせる。城の裏手には武家屋敷が広がっており、石垣の積まれた特有の雰囲気を持っている。