西九州新幹線の開業を前に カメラ小僧のシーズンふたたび
2022年9月23日より、長崎と武雄温泉をむすぶ西九州新幹線が開業する。「長崎県民の悲願」と言われたのは過去の話で、佐世保を通過しないことが決定して、県北の熱は一気に冷め、昨今のモータリゼーションの遅れた波が西の果てまでその恩恵にあづかれる人々を増やして、県南でも新幹線への期待はゼロに近いことになっている。欲しがっているのは、特急運行が面倒くさくなっているJR九州と、建設業とべったりの議員の方々、何かやっている感を出しておきたい行政の方々、観光の起爆剤になると思っている産業界の人々くらいで、長崎のというと主語が大きくなりすぎ、一般市民には縁遠い交通機関がやってくる。
今回はその西九州新幹線がやってくることで、役割が変わりゆく駅の様子、肥前山口駅を取り上げる。
西九州新幹線の開業により長崎本線は在来線の支線へ
長崎本線の江北諫早間の扱いも2022年9月23日の西九州新幹線の開業に伴い管理体制が変更となる。旧来の長崎本線は鳥栖から肥前山口駅を経て、長崎駅までの区間を通しで九州旅客鉄道が保有していた。通常並行在来線として分離されるのが通例であったが、長崎本線の諫早〜肥前山口(現江北)間は一般社団法人 佐賀・長崎鉄道管理センターが管理する上下分離方式により長崎本線の全線は維持されることとなる。過去の記事に書いたように、肥前浜駅までの電化は維持されるものの、それより先の肥前浜ー長崎間は非電化化工事が今後進められ、電化廃止となる。
1934年12月1日の有明線、現在の江北ー諫早間の開通までは、佐世保線・大村線経由を長崎本線としていた。この開業と同時に佐世保線・大村線を路線分離の上、現長崎本線として維持された。1972年10月2日に市布経由と呼ばれる喜々津ー浦上新線が開業し、1976年6月6日の長崎本線・佐世保線の電化完了をもって、2022年9月22日までの形体が完成され、以後50年近く維持されてきた。今回の2022年9月23日の西九州新幹線の開業に伴い、形体は一歩後退し、在来線特急の走らず、在来線非電化化された九州初の県庁所在地、長崎市が登場することとなる。
佐世保線からの特急が長崎本線へと合流する機能としての肥前山口駅も今回の西九州新幹線の開業に伴い、失われることとなり、特急停車駅ではあるものの、広大な敷地から往時の面影だけが残る駅となるのであろう。
ながさきの分岐駅であった肥前山口駅
2011年3月12日のダイヤ改正で長崎本線・佐世保線から姿を消した485系電車と時を同じくして、肥前山口駅での特急列車の分割・併合も姿を消した。九州新幹線の開業に伴い、鹿児島本線で使用されていた車両が余剰となり、博多ー鳥栖間の線路容量も余裕が出てきたことに伴う。
長崎と佐世保からのブルートレインを含む特急列車はこの肥前山口で長崎県代表として一つの編成をつくり、博多、京都、東京へと出発していった。佐世保線の早岐駅では方向転換があり、肥前山口駅では分割併合があり、特急みどりやブルートレインさくら・あかつきの佐世保方面というのは、佐世保駅の0番ホームと並んで、鉄道ファンにとっての鉄道の醍醐味が詰まったような列車だった。
鉄道と道路の長崎のハブは武雄へ
武雄は高速道路開通時から、長崎の交通の要衝としての地位を伺ってきた。長崎自動車道は彼杵、大村、諫早、長崎方面をカバーし、武雄から分岐する西九州自動車道は波佐見、佐世保、佐々方面、将来的には平戸・松浦方面へと道路を計画・建設中である。武雄市はこれに加えて、西九州新幹線の乗り換え駅としてのポジションを得ることとなった。
これは観光においても一つの構想圏が生まれており、このエリアにおける陶磁器の里を巡る拠点にもなり得、有田、伊万里、三川内、波佐見、そして少し足をのばして唐津を回るルートの拠点となる。このポジションは嬉野温泉でも代替可能で、おおよそ二日間あれば、周遊可能である。
サイクリングについても、この辺りを拠点に鹿島方面、佐賀市内方面、唐津方面に加えて、旧長崎街道を進むルートなども楽しむことが出来る。佐賀平野の長崎県北方面の入り口でもあり、程よい交通量の時期を選べば、平坦な佐賀平野を快走したり、山々を超えてのヒルクライムまで多様なサイクリングルートが設定できる。