オリエンタルエアブリッジの新機材 ATR42-600型機 2023年7月1日 就航
長崎離島向け路線と、ANAからの移管路線との両立で経営状態を安定させようとしてきたオリエンタルエアブリッジでは、経年機であり、新造が停止したボンバルディア社 DHC-8-200の後継機としてATR42-600型機の導入を決め、準備が進められてきた。2020年10月に、ボンバルディア社 DHC-8-200の中古機を導入し、設計寿命を迎えていたJA801Bを退役させていた。この時点でも、新規機材の導入については発表がなく、離島島民からは、会社の存続について危ぶまれる声までちらほら聞こえてくるほどであった。2021年12月にORCより長崎県離島向けの新機材ATR42-600型機の導入が発表され、2022年7月、ATR社へ正式な発注を行い、一号機が2022年12月21日に到着した。ここから半年間ほど、慣熟飛行などを続けていた。
一方で旧来からのDHC-8-200の機体不具合などが続いており、2023年5月9日にはOC43便と44便 長崎-壱岐線で新造機ATR42-600型機を投入するほどであった。
2023年7月1日 ORC77便 長崎 福江便にて ATR42−600型機が新規就航!
初便搭乗まで
あいにくの雨模様がつづいていた長崎県内で、前日から当日未明にかけては大雨警報や土砂災害警戒情報が発表されるほどの大雨が続いており、当日の長崎 福江便でも天候調査中の文字が出るほどで、福江でも霧が立ち込める1日であったという。
15時半過ぎにチェックインを済ませ、手荷物検査場を通過し、出発ロビーへと向かった。1番ゲート周囲では、大型のレンズやフラッシュを装着したカメラを抱えた人々が入れ替わり立ち替わり忙しく動き回っていた。16時を回った頃には、大きな箱をかかえたORCの職員や地上待機なのであろうか客室乗務員が相次いでゲートへ到着した。プレス関係者はほとんどおらず、立派なカメラを抱えた人々はひと目で、大きなお友達からなっていた。
現状、ORC便ではORC、ANA、JALなど複雑な経路からの申し込みが可能となっており、来賓の席が飛行機内で予約できなかったのであろうか、特段就航記念イベントは開催しない方針としたようであった。「代わりに記念品を豪華にしてみました」という航空会社スタッフが漏らしていた言葉が印象的であった。航空会社関係者のみがお見送りするのみで、早口でなにかを捲し立てる人々がカメラを代わる代わるにむけて回って、アナウンスを録画しているのをぼんやりながめていたら、搭乗時間がやってきた。
Group 1 ダイヤモンド〜からGroup 2プラチナ〜と進んでいき、やはり、みなさんステータスはお持ちのようで、エプロンでの記念撮影をしようとみなさん足早に進んでおられた。
一番ゲートよりエプロンへ降りていく階段下から、カメラ小僧の皆さんの撮影会状態であった。初便とのこともあり、通常よりやや早くに搭乗案内を開始し、記念品を渡し、エプロンでの撮影時間まで考慮していたようである。なお、被写体にばかり熱中するのがカメラ小僧たちの宿命であり、遅れていた日本航空の東京行きB737-800型機へやや寄りながら撮影しており、スタッフから注意される一面もみられた。
ATR42-600型機機内
ATR社の機体に初めて搭乗したのはバンコクエアウェイズのシェムリアップからバンコクへの便であったように思う。後部から搭乗し、タイ式のカレーがホットミールで提供される国際線であった。
今回はわずか30分程度のブロックタイムである。DHC-8-200型機では古き良きプロペラ時代のような、団扇は必須、エンジンの振動音はひどく、島民でも、航空機が嫌厭されてきた一因でもあった。ATR機では駐機中から空調が効いており、ORC特製の冷たいおしぼりと団扇のサービスというのも要らなくなりそうであった。
濃紺の合皮シートに着席し、まだ撮影会状態のカメラ小僧たちが窓から見えていた。
後部のギャレーにはたくさんのフライトログの数々が積まれており、わずか30分のブロックタイムでの業務の邪魔をしているようにしか見えない皆様の気の使いようが垣間見られた。客室乗務員もベルトランプが消灯しても一度もキャビンに現れず、初便での雰囲気というものの恐ろしさを感じる。
ATR42-600型機は16時40分にスポットを離れ、17時12分に五島つばき福江空港へ着陸した。
厚い雲に覆われていた五島灘で、長崎空港を離陸後すぐに雲の間を縫うように飛んでいく。初便ハンターの皆さん方は、皆さんの初便の武勇伝語りに忙しく、のんびりとした空気感で五島灘を進んで行った。初便についての機長からのアナウンスがあり、これも録音しておくのが、その筋の人たちなのであろう。「Remove Before Flight」のタグを多くつけた者がたくさん居て、こういう人々がいるものかと繁々と眺めたりしているうちに蠑螺島の島影が見えてきた。
初便ということもあり、ステップの取り付けに時間がかかっていた。
ほぼ満席の機内であったが、手荷物受け取りをしたのは5人程度で、ほとんどはそのまま復路の長崎便か次便の福岡便へ乗って帰って行った。CAさんの「最終目的地までお気をつけて」の言葉がORCらしくなかったが、そのような乗客が多かったからであろう。
最後に
その後記念品や自転車やらを抱えて宿へ到着した。記念品を牡蠣フライ総統に言われるがままにチェックしてみる。五島うどんがいっぱいに入っていたらと思ったら、モデルプレーンであったり、カップは波佐見焼に新デザインの尾翼であったり、長崎離島の甘味であったり、盛りだくさんをいただいたのであった。ありがとうございました。