幼少期の平和教育はトラウマしか残さない
夏になり、友人とともに、島原半島の普賢岳噴火の史跡を訪ねて回った。2020年と2度目の訪問であり、かつて、修学旅行で来た際には、土石流の遺構であるみずなし本陣の施設のみであったから、都合三回目の史跡巡りであった。小学校の時期に避難生活を送った子供の作文なども展示されており、同じ時代を同じ世代として生きてきたものとして、長崎県の中での遠いどこかの出来事と思っていたものとして、訪れるたびに何か学びがあるのである。悲劇と一言でまとめるカナダ人の友人のようであるが、火山の噴火の話を聞くたびに、土石流の発生が起こりうる事態を聞くたびに、自分の命を守り、家族の命を守るために、どのように行動するべきかを再度検証し、また、この事態を繰り返さないということの大切さも確認するのだ。
長崎県における平和教育はトラウマを植え付け回っている。原爆は怖い、戦争は怖い、怖いものはいけない、いけないものを生む戦争はやめよう、やめるためには軍備は持たない。というツッコミどころ満載の、だが、子供が考えそうな論理展開を、トラウマから誘導していく。人間誰しも、怖いことは聞きたくないし、耳を塞ぎたくなるし、そこで思考停止に陥る。長崎・広島のキーワードの一つは「あついよう、あついよう、水が欲しいよう」である。8月上旬の各地は真夏日を記録し、これを炎天下の講堂で熱中症になりかかった朦朧とした発育途中の子供に吹き込むことが第一段階である。子供からすれば、これは絶大で、集会中は水を飲むことも許されず、汗も流れるままにされ、一種虐待のようなことが、平和教育の名の下に行われてきた。そこで、怖い、辛いことから忌避することをすすめ、戦争や原爆ときいたらアンタッチャブルなものとしてきた。先の大戦の結末の一つが原爆投下であり、戦争にならないことが望ましい、起こった際には戦争には負けてはいけない(勝つのを目指すだけではいけない)という視点は抜け落ちている。怖いものを見せ、武器を持たなければ戦争にならない、世界に蔓延する武器を撤廃させましょうという現実離れした結論を導かせるのが、平和教育である。
今回のCovid-19のパンデミックの初期で日本が陥った、第1波の緊急事態宣言下の列島の様子はこの恐怖からくる思考停止の一型だろう。その後、国民も政府も恐怖だけに支配され、マスコミはそれを煽り、迷走しているが、平和教育の成功例の一つである。
より客観的に、怖いを超えて、その先へ進む教育が必要になることを実感する。
朱鷺のように扱われる事になるヒバクシャ 彼らはそれを望むのか
「205X年、最後のヒバクシャ亡くなる」という記事が出ることだろう。まるで、最後のNipponia nipponが死んだ時のように。人間は誰しも老い、死んでいく。この205X年の記事が出る頃に、筆者が天寿を全うして、この世にはいないかもしれないが、とにかく、このような記事が出る日はそう遠くない将来やってくる。この記事を書いている2021年段階で高齢化が進んだヒバクシャは75歳以上である。日本の平均寿命を上回る勢いで生き続けるヒバクシャたちも多く、数々の被曝関連疾患に苦しんできたとはいえ、それらを乗り越えて生きていくリソースが提供され続けてきた証左だろう。
子供の記憶では、自身が体験した純粋に鮮明なものと、後から知識として肉付けされたものとが混在している。現在80歳以上のヒバクシャで語り部として活動されている方は、被曝当時幼稚園でいう年中程度の年齢である。子供の目を通した戦争の純粋な個体の記憶に、家族や学校教育で塗り重ねられた社会的な記憶が渾然一体として彼らのヒバクシャとしての記憶が形成されている。現在の三十代、四十代あたりの祖父母世代は戦争中に10歳以上の世代を形成していることが多く、家族の記憶と、個体の記録、社会の記憶は自我を持って分別されて語られてきており、そして、その世代のヒバクシャは、自分の幼少の記憶の心細い何処か朧げな根拠と膨大な社会の記憶との間で板挟みになり、記憶と真実の差異に苦しみ、どこか教育現場・被曝利権集団から押し付けられた使命感でおしつぶされそうになっていないだろうか。
また、それを彼らは望むのだろうか。報道により名前も顔写真も、住所までも丸裸にされ、毎回朧げな記憶を、知識や表層だけがかすめていく実体と共感が薄い語りで次世代へ継承しろと何処か強迫されていないか、見ていて心配になる語り部が増えてきたように思う。そのようなヒバクシャは、絶滅危惧種のようにマスコミや市民団体が扱うであろう責任の重さに耐えられるのだろうか。
世代間のギャップと平和教育
現代の三十代、四十代においては、戦争中の自身の記憶は家族の記憶、個体の記憶、社会の記憶からなる複合的に形成された記憶の伝承は、言葉には凄みがあり、より立体感を持ち、同時に血の繋がる家族の口伝えの記憶としての我が事の実感も伴っていたはずだ。今の幼少者からみると、自分の祖父母世代となると戦後生まれが大半を占め、共に時代を生きる家族としての記憶としての戦争体験は形成されず、遠いどこかの社会の記憶、一種歴史の書籍の上の出来事となっているのだろう。ヒバクシャの語り部との子どものトラブルを聞くにつけ、この実体験があるものとして自分の視点から見ると、子どももヒバクシャもこの平和教育の枠組みでの被害者である。
子供の目はある意味分別があり、真実とまやかしを嗅ぎ分けるのだから、好きでもない修学旅行で出かけ、個体の記憶に社会の記憶が上書きされた、自分の言葉で語らないヒバクシャとしての記憶を聞かされることを強制され、自分の実感を伴わない遠いところの何かとなった戦争体験の追体験を強いられるのは、子供ながらの葛藤や反発を生むのだろう。ヒバクシャのバトンなどと気安く押し付けてはならない。現在の大人たちが受けてきた感性や常識では、今の受け取る世代は受け入れるレセプターの分布が異なっていることを教育現場でも考えなければならない。