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「ながさき」というところ その5 四季のながさき 夏 8月9日が来るたびに 2022年 ウクライナと長崎

歴史の大きな転換点になる2022年

2月24日、ロシア連邦によるウクライナ侵攻が開始され、侵略行為と現地での残虐行為の数々が報じられている。また、8月4日より日本近海では中華人民共和国による軍事演習が行われ、ナゴルノ=カラバフ紛争の再燃がみられるなど、世界情勢の動きはどこかきな臭い方面で活発である。そんな中、また、あの日がやってきた、長崎原爆投下の日である。

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話し合いや外交努力で紛争は解決するのか

今回のロシアによるウクライナ侵攻や、ペロシ米会員議長の台湾訪問に続く北京政府の日本近海での軍事演習など、日本を取り巻く、軍事的情勢は「キナ臭い」状態が続いている。これらに対する、メディアに流れる長崎における被爆者たちの声というと、すぐに「話し合い」という外交手段による解決を訴えてくるのである。そもそもの外交手段といっても、それぞれの国々が有する、軍事力や経済力、文化力(ソフトパワー)、情報力(諜報力)などをベースとした国力に依るものから発するのが外交力であり、これらの力を行使し、国益を最大限に引き出していく駆け引きでの解決である。残念ながら、外交手段による解決の前提には、彼らが忌み嫌う軍事関連の力が占める割合がそれなりに高いのである。

カンボジアで8月4日開催予定であった日中外相会談は、中華人民共和国からの拒否により、中止へ追い込まれている。相手がいることであるから、話し合いを切に願っても、拒否されてしまえば、その話し合いの土俵にあげるために、何らかの譲歩が迫られ、ここにまたサラミ戦術の入り込む余地が生まれる。侵略国家への軍事を除いた外交手段では、経済関係の強化による紛争抑止には効果がないことが明らかになってしまった現状では、後手後手に回った外交政策ではエスカレーションの抑止に失敗するであろう。

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今回のロシア連邦によるウクライナ侵略での教訓の一つが「侵略軍を1mmとして領土に侵入させてはいけない」であろう。チェコスロバキアにおけるズデーテン地方のナチスドイツへの割譲の以後、何が起こったのかということを思い出さずにはいられないが、「領土の割譲をおこなって和平を」などというのは、外交手段による一時的な時間稼ぎにしかならず、侵略のエスカレーションを引き起こすことにしかならない。

また、ロシアによる侵略戦争は、数々の悲劇を生み続けている。ブチャやマリウーポリでの蛮行の数々は筆舌に尽くしがたく、拷問・強姦・民間人殺人・略奪・拉致など、ありとあらゆる人道上の罪が集積した舞台となってしまった。これは、旧満州国で日本人が戦争直後に直面した無数の悲劇を思い起こさせる。また、ロシア連邦によるウクライナ国内での占領地では、ソ連時代の政策と同様の、民族浄化、子供をはじめとした強制移住、矯正教育など、将来の紛争の火種を撒き散らしており、このエリアにおける政治的、民族的不安定さを増す要因となっている。

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紛争・戦争は開始を抑止することが肝心で、そもそも軍事力をファクターから除外した外交というものは国間協議では存在しないのである。

「平和」を考えることは「戦争」を考えること

戦争の前段階は、非侵略国家における社会が「平和」だと思い込んでいる状態でも進行している。ロシア連邦のウクライナ侵攻は何がベースでどの時点から起こったのかというのは、平和を考える上でよく考えた方が良い事象となった。隣国の国内情勢を冷徹に判断し、どの程度の軍事力(装備、練度、補給、作戦、演習・動向など)を分析し、侵略がいつでも起こりうるとして分析をする必要がある情勢にまで直面している。クライブ ハミルトンによって著された「Silent Invasion」「Hidden Hand」でも報告されたように、中華人民共和国に至っては、政界工作や経済界工作、学術方面での盗用や剽窃などさまざまなスパイ活動をオーストラリア・イギリス・米国で行っており、これらは軍事を使わない侵略であり、軍事作戦の前段階ともなりうる。近隣の国家において、何が侵略勃発のリスクになりうるのか、侵略におけるフェーズのどこまで侵食されているかと言うことを考えなければならない事態に直面しており、一般市民の知性が試される事態になっている。

この稿では多くを論じないが、以下のものが侵略側の社会での蔓延がありそうである。特に全体主義的な国家であれば、大小問わずみられそうであるし、民主主義国家でも、このような項目はSNSを通して蔓延しやすいであろう。

1. 元々のマジョリティの民族の在り方における妄想と習性

2. 軍事大国としての優越感

3. 独裁体制下における思想の先鋭化・統制・フェイク化

今回のウクライナ侵攻の第一段階は、時間軸においては、侵攻が一定の成功を見た2014年のクリミアへの侵攻の時点であろう。これは他のチェチェンやジョージアの情勢を見ていれば、危機的状況にあったことが理解されなかったこと事態が、西側諸国での政治家、学者の常識と、侵略国家の国民や政治家、思想家の常識のズレであろう。たいてい、思い描いて、理想化していたものと、現実の出来事での捉え方などというものはちがうものである。侵略国家にシンパシーを感じる者たちによる発言はどれも侵略行為を擁護し、根拠のない陰謀論に近く、戦後における日本国内で積み上げられた、自由を保障する民主主義のあり方に挑戦するものである。

このような侵略国家にシンパシーを感じる者たちは、大抵は平和を唱えて、戦争ハンタイを掲げており、自国が他国を侵略するという妄想に生き、他国による自国の侵略を想定するということはない。果たして、このような政治家や学者、官僚が跋扈していることが故郷や家族の存続に合理性があるのか、考え直すには遅いのかもしれない。

侵略を早期に防ぎ、軍事的侵略に国家の領域外で抑止をかけていくことが、自国の平和を守ることとなる。常に自衛のための戦争を考えておくことは、平和を考えることになるのである。

 

もう一度考える過去の戦争の意義 平和教育改め戦争教育

平和教育というのは情緒に訴え、戦争被害以外の真実には目をつぶり、考えさせることよりも「戦争はいけない」というワンパターンに追い込み思考停止させる教育であった。悲惨な戦争被害を見せ、情緒や感情をひどく揺さぶり、国際社会における動向や故郷が置かれた軍事的・地政学的現状を顧みさせず思考停止に追い込ませるのがその本体である。

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SNSの発達とともに、何が真実かわからない時代になった。発信者側には、世の中には出典不明を根拠に活字体で情報が溢れかえっており、経歴不明・専門不明の専門家が自分を大きく見せるために暗躍している。また、受信者側では、真実や科学的リテラシーよりも情緒や情動にかられて、好きか嫌いかというより人間の根源的な感覚で社会を動かすようになっている。本来人間がこの世で生きていくのは、真実と虚偽の入り混じった中で、正しい情報の核心に迫りながら、その真贋のハザマで暮らしている。さまざまな「どうも確からしい」真実から離れて、赤の他人が作り上げた虚構の中で生活するというのはジョージオーウェルの1984の世界であり、そこには家族や地域の思い出すら書き換えて、赤の他人に都合の良いようにねじ曲げられた世界がある。

長崎における原爆の真実もどこか、そのようなものを内包しており、軍国少女であった被爆者が、メンツを守るために、社会が望む被爆体験を語るようになったという事例や、医療費が無料になるからと被爆者手帳の取得のために被曝歴をでっち上げた事例なども、外にも出せない、公式記録にも載せられない、声なき声が埋もれていく。平和にも見えた社会の中でも、嘘を語る葛藤や詐称に近い行為が強いられていたのも、また平和教育の暗部にもみえる。長崎における反戦・反核を唱える平和を希求しているとするものの中でも、世界各地で軍事的アクションを起こした上に国際法上の違反事項に目を瞑り、あくまで西側の煽り・「策動」としてしかとらえない言説も多く散見される。日常的に「平和」や「戦争反対」と叫んでいる人々ほど、奥歯に物の挟まった言い方でロシアの侵攻を批判するのである。さらにその先の日本が置かれる状況という現状へのコメントは、自分の子や孫などの意思は無視し、ただただ、崇高な「自分の考えるサイコーの平和」つまり侵略を甘受し、民族は浄化され、奴隷化されて生きていくことを自分の家族に強いるのも厭わないのである。そのような人々は、平和や世界を騙るような団体に実はダマされ続けているのかもしれないが、そのような人々が主導しているNPT加盟は、現状の日本が取るべき立場なのであろうか。。

Covid-19下での飛び交った情報というの中にも、とんでもない陰謀論から、少しの思い違いから引くに引けなくなっての服用禁忌を破っての処方に至るまでの、科学的に確からしい真実に肉薄している真実に近いことから離れた情報が垂れ流されて、多くの健康被害や損害を与えることになったのである。

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最後に

碑文に刻まれている「あやまちは繰り返しません」というのは、真実により近い情報を希求し、そこから、家族と自分、故郷を守れるような行動が取れるようになることで、戦争だけではなく、災害や疫病でも言えることなのかも知れない。

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