こよなく晴れた 青空を悲しと思う せつなさよ
長崎に生きていると青空をも悲しいと思えるくらいに、どこか生きていることへの後ろめたさや儚さを感じさせられるイベントがあまりにも多い。精霊流しや長崎くんちも見栄を張り合い、見ていて心配になるような富を一夜で吹き飛ばして回る。キリシタン禁制の西坂の殉教や浦上崩れに加えて、原爆投下の日、長崎大水害に至るまで、どこか陰のさす歴史や日々が町中の至る所に影を落とし、それを忘れんために、どこか享楽的、刹那的な祭りを年中行事に織り込んで来たのではないかと思っている。長崎の鐘はやや明るいメロディに、この小見出しの語を最初に織り込んでおり、より哀しみと苦しみを強めてくる効果もある歌であり、夏の晴れ晴れとした長崎市の空を見ても、物悲しさを書き立てている。
1945年8月9日11時2分プルトニウム型原子爆弾一個がアメリカ軍機より投下され、浦上上空で炸裂した。死者 73,884人、重軽傷者 74,909人、合計 148,793人を出した。敗戦後76年になっても、原子爆弾によるさまざまな後遺症が長崎・広島を覆っている。
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被爆都市長崎とCovid-19の事態
平和都市長崎は、くんちやイベントのための予算消費とハコモノ行政という建設事業や被曝利権の維持に精を出し、なにかと浪費を重ねている。緊急事態宣言は必要な時に出すのではなく、九州島内の他県の動向と年中行事への影響を見るのみで、市民や県民の動向などを考えない。過去の長崎における被曝行政は、Covid-19での診療体制や行政にも大きな影を落としており、8月9日を機に再考した。実態の調査については未だ進んでいないことも明記しておく。
Covid-19下で、脆弱性が顕になったのは、長崎の医療体制だろう。これは原子爆弾の投下とも関連している。差別意識からというより、どこか特権的であるらしく、誰もが眉を顰めて囁くように話す、ゲンバクと呼ばれる、原爆被曝者に対する手当がある。日本全国で、医療介護を中心に原爆被曝者への給付が行われており、長崎市の医療介護のカタチも、医療計画もこの制度により、歪められ、機能不全を起こし、救急医療体制からワクチン接種体制まで、市民に不便を強いている。
原爆被曝者には被爆手帳として、医療費の給付が行われる。この手帳の取得過程でも、手帳の運用でも、ひっそりと、しかし原爆のアンタッチャブルさからは思えないほど大胆に周知されている、非倫理的なことが起こってきた。
手帳の取得要件には、罹災証明や写真や書簡が添付書類として必要とされる。これらがない場合には第三者の証言を採用し認定の可否が決まるとされてきた。この証言は偽造されることも多く、ここに医療機関での斡旋があると言うのは長崎市民のだれもが耳にしたことがある話なのである。爆心地からの距離や入市の有無などの証言は、手帳を取りやすいように、その事実がないものですら改竄され、時には年齢まで改竄して取得などという話を原爆市民団体から持ちかけられるという事態もあったという。長崎市の外では差別などを恐れて申請をしなかったという者がいる反面、このような証言の偽造などによって得られた被爆手帳も長崎市内で多く語られ、必要な支援や給付が難しい戦後の混乱期の名残はその後市民団体により歪められてきた。市民団体にスナックの集金に伺ったら、寿司の出前をとってくれたなどという昭和の懐かしい思い出も聞く。
さてこうして、この、頻度は不明だが、案外全市市民も知る、被曝実態のない人まで給付されている原爆の給付は、長崎市の医療機関でも過量処方、過剰検査などがまかり通る事態であった。子供や孫の分までの湿布薬を処方し、子供の分の降圧薬を処方し、これが被曝手帳を持つものの保険において、行われていたのは、これもまたよく聞く話である。日本の医療機関における収益は、処方した薬と検査内容によるものが過半を占め、医療スタッフの診療行為に伴うものはごくわずかになる。薬は出せば出すだけ、検査はすればするだけ、収益になる構造下で、長崎市の中小の医療機関は雨後の筍のように増えた。砂糖を右から左に流す長崎商人のように、被曝手帳を持つ患者の診療により焼け太りした長崎市の中小の医療機関は、Covid-19下では、健康保険のシステム内での公的機関としての地位を放棄するものも多かった。発熱患者の診療をも拒否するところが多く休業の通知を掲出するものも多く、大学病院や公設病院との連携はとられず、保健所や公設病院の負担が急増した。
長崎市は世界に誇れる数だけは多い、質を伴わない医療機関を抱えることができた。政令指定都市・中核市78市において、日本一多い医療機関を抱えていることを自慢げに誇示している。被曝利権のもう一つの享受者である医師会に全てを委託したのだが、ワクチンの接種においては全く機能しないことがのちにわかった。
長崎市内の人口10万人当たり医療施設数(病院と一般診療所。歯科診療所は除く。)は、政令指定・中核市78市のなかで、1番医療機関の多いことから、その強みを活かして医療機関での接種を基本としています。また、集団での接種も併用して行う予定です。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/fukushi/450000/454000/p036653.html
当初の長崎市での試算では、これらを総動員することでワクチン接種が可能であると考えたのだろう、大規模接種会場を設定せず、市中の医療機関のみでワクチン接種を行うこととしていた。実際に接種を開始してみると、接種率は伸び悩み、他の市町村の後塵を拝するようになった。慌てた長崎市は大規模接種会場を設置し、接種を開始したが、最初の遅れはなかなか取り戻せず、市民の一部は職域接種に頼っている。市役所や県庁の目論見では、一般の外来診療という医療機関における業務が見えなかったのだろう。受付ー予診ー診察ー検査ー診断ー処方という一連の流れは、同時並行的に患者において行われるが、ここにワクチン接種の入る隙は余程スタッフのマンパワーを揃えている医療機関でのみ生まれる。自治体の能力も想定以上に低いのが長崎市の現状であり、これも原爆との取り組みにより劣化してきたのかもしれない。
市役所や県庁では、予算執行率が重要項目であるらしく、2月3月の年度末に駆け込みで予算の消費を目的としたプロジェクトが市内各所に出現するのがCovid-19以前であった。役所内では事業の終了と継続が主目的となり、事業の目的や目標の達成という点は疎かにされてきた。毎年のように発出される長崎市の平和宣言は実際には実現不可能な玉虫色で輪郭すら朧げなものを目標としており、核廃絶を訴え続けてきた。到達目標の評価や精査も実行不能な自治体の姿勢は、Covid-19下での長崎市民、長崎県民の命を危険に晒し続けている。国は図体が大きすぎるため、ここでは議論をしないが、長崎市とその関連の自治体は行政能力が低く、予防接種の進行も遅く、被爆利権づけの医療機関では対応できないほどの状態であり、市民・県民は緊急事態宣言再発出を前に、自衛を心がけるしかないだろう。手指消毒・マスク着用・三密回避で自分の身は自分で守ってほしい。