佐世保魚市の食堂で朝ごはん、相浦駅まで
相浦は佐世保の中でも古いエリアである。現在の佐世保市街地ができる以前、佐世保のエリアでは相浦、早岐、三河内のあたりに大きな集落があり、現在の佐世保の中心地には田んぼが広がっていたと言われている。相浦・佐世保は北松炭鉱群(北松炭田と呼ばれた)の中心的な地点であり、相浦から積出されていた写真も残っている。今回利用した松浦鉄道には支線が多くあり、炭鉱からの輸送をになっていたのであった。1950年代には北松炭田は最盛期を迎えたが、エネルギー政策の転換や薄い鉱床を掘り進むコスト高により1974年の鹿町炭鉱の閉山により、幕をおろした。ピーク後、松浦線の支線であった、臼ノ浦線(佐々ー臼ノ浦)、世知原線(吉井ー世知原)、柚木線(左石ー柚木)も徐々に営業を終え、駅構内にその面影を止めるだけになっている。第三セクター化された松浦鉄道の初期車両(MR-100型)はミャンマー国鉄に転籍して、現在でも南国の地でその姿を見られるという。
開業当初、最長の第三セクターと呼ばれていた松浦鉄道にて、早朝、佐世保駅を出発し、相浦まで向かった。
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佐世保魚市場の場内
佐世保の古い、三浦地区の水産市場、万津町に開業した魚市場の分場のうち、昭和13年(1938年)に設置されたのが相浦の魚市場である。平成9年(1997年)に全ての機能が移転して、相浦の佐世保魚市場として開場した。かつては、といっても、1990年代の前半までは、万津町のそばの水揚げ場に、手カキ(手かき棒)を持ったおじさんたちが、魚の血を時に飛ばしながら、早朝のまだ日の明けない頃から働いている姿があった。また、隣接した朝市ではマムシ酒から農産品、魚、干物などが売られていた。朝市の食堂も冬にはもうもうと湯気をたてて、独特の活気が見られていた。
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うおいち食堂
魚市の関係者だけが出入りしているらしい食堂であり、夫婦なのだろうか、家族で運営しているらしい。出入りする常連さんの噂なども、といっても誰のことかはさっぱりわからないだが、時折聞こえてくるほどである。
海産物を一般向けに売っている鮮魚店、ちゃんぽん食堂風の様相の店も一緒に並んでいる、ショッピング街のようになっているのである。
この手の店には、必ず小上がりが必要である。仕事終わりの漁師さんたちが彼らにとっての仕事終わりの時間、サラリーマンの夕方の時間帯にあたる午前中にビール、日本酒、焼酎などを並べているのが見られる。
うおいち食堂の海鮮丼
サバの南蛮漬け、丼ものとして、タイ(腹のぶぶん)、ヒラス、カツオ、サーモンが載っている、潮汁が提供される。
うおいち食堂 店情報
住所:佐世保市相浦町1563
営業時間:05:30 - 15:00
定休日:日曜日
電話番号:0956487897
期せずして、カキフライ総統も鹿児島の魚市の食堂に行ったそうであるから。。なかなか人のタイミングは興味深い。