おかみさんはカンボコが好き
長崎一番のカンボコこそが世界一、宇宙一と思って育ったという。カンボコというのは長崎市内ではすり身のもの全般を指し、板付け、ちくわ、あげかんボコと少しずつ細分化されていく。おかみさんの幼少の頃の長崎一番のカンボコはそれだけ美味しかったのだろう。
今では県北の高島ちくわ(佐世保市)がその座を奪ってしまったという。県北へ行くと、あげかんボコは天ぷらとなり、長崎県内での呼称も変わっていく。カンボコ研究家のおかみさんところで一研究員のように暮らしているため、長崎県内をカンボコ求めてさらいている(長崎弁で「歩き回っている」)のである。
さるく
意味
猿が何かするのかと思ったら、そうではなく、当て所もなく、ぶらぶらと歩き回るなどという意味となる。長崎市内ではさるくと言う。長崎県の北部から中部ではさらくとなる。色々な各地域の人たちの話を聞いている限りでは、どうも、壱岐から大村まではさらくである。ただし、これも活用があり、さるくがさらう、さろうの様にも発音されることもある。
街歩きの博覧会として、さるく博、佐世保における商店街、さるくシティなど「さるく」は各所で見られる。
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文法的事項
終止形
さるく saruku
連体形
さるく saruku
否定形
さるかん saruken
命令形
さるかんば sarukanba さるかんね sarukannne(やや優しく、勧める際に用いる)
過去形
さらいた/さるいた/さらうた saraita / saruita / sarohta(さらいたと言う方が多いだろうか)
さるいとる/さらうとる saruitoru / srohtoru 歩き回っていた
用例
「歩いてさるく」
歩いて歩き回る
もともと歩き回ることをさるくというのに、さらに歩くをつけるとは「頭痛が痛い」レベルのおかしなものだなあと思って、聴いているのである。「さらいてまわる」というのもたまに聞かれるが、歩き回り回るとなり、どこか用法としてはおかしい気がしている。
坂の街の人々は自転車には乗れないため、自転車に乗るわけでもないだろうからか、自転車でさるくというのも聞かない。
「長崎ん人はまっつぐ歩けんとさー、さるうけんね」
長崎の人はまっすぐ歩けないのよ、ぶうらぶら歩きまわるからね。
石畳を見栄を張って敷いて回ったのはいいものの、線に沿って歩いたり、畳の目にそって歩いたりなどとできないのが長崎市の人々である。常にこころもぶうらぶら、人生もぶうらぶら、心ここに在らずと言う風情で歩いて回るのが長崎式である。
「どこばこん時間まで遊んでさらいとったとね」
どこをこの時間まで遊んで回っていたのか
怒気を込めて大抵は聞かれそうな、親が子に、奥さんが旦那に描けるようなものである。やや影のある音階が入ったほうが「じげもん」風であろう。
「こん、コロナんときに、あがんとこ飲んでさらいたらだめさー」
この、Covid-19の流行っているときに、あのようなところを飲み歩き回ってはいけない
さるくといっても、飲んでさるくで飲み歩くと言う使い回しもできる。他の動詞+さるくの用法である。この1週間ほどで、DJN市内ではスナッククラスターが再度発生し、デルタ株も県内で見つかるなど、世界は長崎ではなく東京と繋がっており、東京経由で当世風の動向を示すようになってきた。
ぶうらぶらとさるく、長崎の人々
長崎ぶらぶら節という長崎市に伝わるとされる民謡がある。長崎くんちで本踊に欠かせないとされるのだが、このお座敷唄も長崎の丸山では忘れられ、島原の小浜温泉で残っていたのを発見されたという、「忘却の街 ながさき」らしい謂れもある。定まった歌詞が唄い継がれていない点も注目すべきであろう。30ものバリエーションができていたという、このいいかげんさ、金銭的な余裕と、俗っぽい見栄の読み込まれた様は天領の港町 長崎の象徴なのだろう。下ネタが多いのも、長崎らしさを表している。
三 梅園太鼓に びっくり目を覚まし
必ず忘れぬように またきてくだしゃんせ
しゃんせしゃんせと いうたもんだいちゅう
十二 ぽん袴 あちゃさんそこぬけ盆まつり
豚の土産で 二三日ぶうらぶら
ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう
二十 あんたのシャンスは じんべん来たばいな
よかばのおすばんばかりと いうたもんだいちゅう
すばんすばんと いうたもんだいちゅう
こころも身体もぶうらぶら、人生も何もぶうらぶら。「さるく」というのは長崎県内で聞かれる言葉であるが、長崎のまちっこの生き方までのニュアンスを象徴しているほどに、どこかしっくりとするのである。