長崎ん人はまっつぐ歩けんとさー、さるうけんね
「長崎の人はまっすぐ歩けないのよ、『さるく』からね」(見出しは長崎弁)とでもいいそうな長崎市民は多い。さるくとは一時期から長崎市街で流行・再興した言葉で、ブラブラ歩くとでもいう意味なのである。歩くという概念がこの街にはなかったのだろう、さるくという。
人間の歩行には、ただ運動行為として歩くだけではなく、周囲の状況を見回して危険を察知しそれを回避するという行為を伴う。運動行為としての歩行も、体力が温存可能に出来る限り最短ルートか、直線的に行われるのが通常である。何か危険を察知したり、自らの興味の対象の出現などで能動的に向かったりということがない限り、ヒトはまっすぐ歩き続ける。
歩くのが難しい街 長崎
また、歩くということに関してみてみると、長崎市内は歩くのにも適していない路面が多い。長崎市内で高いハイヒールを履く様な人はいない。すぐに靴がダメになってしまう街でもあるのである。ハイヒールを履いて「つま先で恐る恐るヨチヨチと歩かないと」という様な急な坂道であったり、砂岩が敷かれたボロボロの歩道であったりと、とにかく歩きにくい街である。クルマのグリップのためにコンクリート内に丸い枠が押し当てられている坂はどこにでもあり、自転車業界ではゲキサカとでも言われるものは多い。
居留地の伝統ということになっていそうだが、砂岩がひかれた歩道や道路が多いのも長崎市である。所詮砂岩であるから、気候や車両の重量などにより、薄層ごとに剥離して、みていて綺麗とは言えない大きな穴が開いてしまうのである。また、大抵の場所が埋め立てであるこの街らしく、石の重みで歩道は凹凸が激しく、足元に気をつけて歩く必要がある街である。谷間の街で水が集まりやすく、歩道はボロボロであるから、よそ行きの靴なんて履いているものはほとんど見られない。
過去の記載
浜町のアーケードを歩いてみた。Covid-19下で、以前の様に週末へ気軽にどこかへ出かけられる気分でもなくなり、最後の洋行として出かけた頃である。以前同様、地元で買い物もしないのだが、とにかく歩いてみるかと出かけることが多くなった。狭いアーケード内であるのだが、とにかく歩きにくいのである。他人がこちらに向かってフラフラと吸い寄せられる様にやってきたり、さらにはぶつかりそうになったりとするのである。ここで内田百聞の以下を思い出したのである。
阿房列車を読みながら、列島のカーヴに沿って飛んでみる。
— DRK (@limken21) 2019年2月1日
西の果ての描写が友人の誰かのに似ていて興味深い。“往来の通っている人人の歩き方が、何だかだらしない。電車や自動車の走る道を横切る時のざまの悪さ、見てゐて何度もはらはらした。”と。大村線周りの雲仙の頃と変わらぬ #dynamic_Nagasaki
これが出版されたのは1955年の頃であるから、この頃以来、西の果て長崎市の人々の歩き方は大して変わっていないのである。電車の来ても、大抵はこの土地の人だと思うからか、早速クラクションの代わりにベルをちりんちりんと鳴らしたりするのである。
長崎市まで来たのなら、街中で立ち止まり、あるいはカフェから街ゆくモノをじっくり眺めてみると良い。人の歩きかたや車の動きはどこか危なげである。長崎市内のアーケードを歩くにしても、市内を自動車や自転車で動くにしても、ジョギング などの運動行為においても、物体の移動がまっすぐに動いていないことに気づくだろう。車はフラフラと車線内、時には車線をまたいでフラフラと走行しており、アーケードでも、長崎市内でも珍しくエリアなのだが、段差や陥没もなく大方まっすぐ歩けそうな環境であるにもかかわらず、老いも若きも、酒も飲む時分出ないのに、大抵が右にフラフラ、左にフラフラと歩行している。ぶつかりそうになっても、大抵悪びれる風もなく、むしろぶつかりそうになるお前が悪いと言わんばかりの顔をしているのである。彼らはさるいているのであり、歩いているわけではない。
加えて、この土地の人々のどこか違った雰囲気や空気感は、九州の中でも珍しく、どこか陰のある雰囲気、ぶっきらぼうな物言いや県庁所在地にしてはヤンキー趣味な出立も共に眺めてみてほしい。
最後に
さるくと言ってしまう長崎市内の人々は、歩道を行っても、車道を行っても、どこでも危なっかしい人々であり、「長崎さるく」などというものを当地で行う際には、危険予知・危険確認を怠らない様にする必要がある。大変危険な街であるから注意をしてほしい。