長崎歴史文化博物館に残る老舗レストラン銀嶺
銀嶺というと、特に銀嶺という屋号の店もないのに、銀嶺の名を冠したビルが崇福寺通りと寺町通り、本古川通り(旧かんぎん通り)、鍛冶市通りの交差点の隅に建っている。この交差点は長崎市内でも珍しいスクランブル式であり、ここと元船町のユメサイトと呼ばれるショッピングモールの前の2箇所が知られている。
もともとこの街の中央部、浜町アーケードのあるブロックの角に位置していた銀嶺であるが、長崎歴史文化博物館に移動してきたという。鍛冶屋町にあった頃の銀嶺の様子は以下の文章に詳しいが、現在、このようなバァやレストランは姿を消してしまっている。長崎歴史文化博物館に銀嶺が収蔵されることとなり、過去の遺物、展示物のようになったのだろう。
創業は1930年、昭和5年とのことで、90年続く店舗であるが、往時の面影を示すようなメニューはあまり多くなく、観光客向けのトルコライス、常連向けのハンバーグや月代わり定食がある程度である。上記のインタビューでは橋本京子女史のコメントがあるものの、誰それとの関係という視点で描かれている程度であり、銀嶺における伝統的なメニューなどは触れられていない。街中で聞いてみても、1990年代以降にやってきたものは銀嶺を知らず、1990年代に二十代だったものに聞いても銀嶺を知らない。化石か恐竜のように成り果ててしまい、ついには博物館の収蔵品になってしまったのだろう。値段もさることながら、平成という時代に適応することもなく、一部の愛好家により愛でられてきたようであった。
店内には、確かに博物館の収蔵品としてもあってもいいような、ヨーロッパの田舎の資料館レベルの各種物品が所狭しと置かれている。食物の調理をする場所として近接してこれらが置かれているくらいであるから、長崎市における文化財の取扱はこの程度のもので、カツを揚げた油などが飛び散っていそうなのである。
銀嶺のトルコライス
やはりトルコライスである。C級グルメを長崎でも格式があったとされるレストランでも提供するのがこの長崎市の実力であり、ここには矜持などというものはない。
カツはあまりサクッと揚がっていない鶏肉のものである。ピラフは自家製のものなのだろう。これに昭和の家庭でも作られていたようなトマトケチャップのナポリタンスパゲティと小さなサラダが添えられている。ソースはスパイスをやや利かせたようなあっさりとしたもので、他の料理のドゥミグラスソースの流用は大きくはしていないようだ。上品というよりは、学校の学食的な盛り付けであり、収蔵品として鑑賞する範囲である。
カトラリーには重量感はない、中の空洞のNoritake、しかも全てが同じもので揃えられていない。スープの皿も、かつて使用していたのか、両脇に持ち手のついているものだが、下にソーサか皿がひかれておらず、どことなく頼りなげである。
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銀嶺の月替わり定食
月替わり定食(ランチ)も提供されている。ランチでのコースも予約制で行っているらしいが、どのようなものが出てくるのかは不明である。店内の様子とはチグハグなジーンズを履いたおじさんがエプロンをしてフラフラと出てきたり、かき氷のシーズンであるにもかかわらず「今日は氷を入荷していないんです」とのたまったり、色々とCovid-19下であってもなくても怪しい雰囲気を漂わせていた。
店情報
- 住所: 長崎市立山1丁目1−1
- 電話番号: 0958188406
- 営業時間:11:30 - 14:00
- 支払い:現金 各種カード可