世界におけるスコットランド人
当時全世界を股にかけたのはイングランド人というよりはスコットランド人の方が目立つのだが、案外現代のスコットランドの人々はそれを知らない。また、イギリス人(いわゆるBritishと呼ばれる)にとってはスコットランド人が発明しようが、特に関係ないのか、全てイギリスのものという感覚で現代は流れている。スコットランドまで行くと、誰々さんは実はスコットランド人という展示が見られたりと、田舎から出てきたものの苦労を偲ばせる話も散見されるあたり、長崎という地の果ての感覚はどこか近いものを感じる瞬間がある。
極東におけるスコットランド人としては、HSBC(香港上海銀行)の設立者 Sir Thomas Sutherland(グラバーさんと同郷)はアバディーンの出身で、Jardine Matheson(コーポレートマークはアザミ)の設立者のWilliam Jardine、Sir James Nicolas Sutherland MathesonはそれぞれDumfriesshire、Sutherlandと最北端と最南端の出身である。熾烈な争いを行うことになるSwier社の創設者はJohn Swire、Yorkshire出身である。HSBCと並ぶ香港紙幣発行銀行、Standard Chartered銀行の合併前のそれぞれの設立者も、John PatersonはAberdeen出身、James WilsonはHawick出身である。スコットランド本体に住んでいるスコットランド人を自認するものより、英国旧植民地に在住のスコットランドルーツ者の方が多い。
アバディーンのグラバー邸
長崎の観光名所の一つ、グラバー邸のあるグラバー園。江戸末期の開国の頃、スコットランド人の商人であるトーマス グラバーがやってきて、その私邸の周辺に建設された居留民の邸宅後である。長崎にグラバー邸があるのに対して、彼の故郷であるスコットランドのアバディーンにもグラバー邸があるのである。Covid-19の流行前の休暇の旅行で伺った時の写真を交えて紹介する。
Thomas Blake Glover は長崎の地で表向きは商人として商売をしていた。1838年6月6日、Aberdeenから真北に40マイル行ったFraserburghで生まれた。1851年、一家は現在のアバディーンのグラバー宅がある、Bridge of Donに移ってきた。
1857年にJardine Matheson商会の従業員として、19歳の時に来日した。1861年、グラバー商会を立ち上げた。当初は茶の輸出を商っていたが、1860年代になると、武器や船舶の極東での輸入を手がけるようになる。兄弟の商っていた、Glover bro Co.との船舶の貿易も行なっていた。
1867年の大政奉還の時期にはグラバー商会は苦境に陥り、破産した。明治からの文明開花・産業革命へ参画していった。1877年、東京へ移り、長崎の造船事業を通して知り合った、三菱のコンサルタントとして、活動した。長崎半島の近海にある高島・端島は炭鉱として開発され、横浜で創業したSpring Valley BreweryからJapan Brewery Companyを経て現在のキリンビールへも関わっている。
1996年に三菱グループにより、買い取られ、アバディーン市へGrampian-Japan Trust を通して寄贈された。アバディーンは北海油田の基地であり、世界各国からの投資が集まっている中で、一つの象徴的な意味を持っていたのかもしれない。
2012年までは旅行者向けの博物館として利用されてきたが、訪問者の減少と維持コストの増加から閉鎖されている。
アクセス
現在は閉鎖となっているため、入ることはできない。
住所:77 Balgownie Rd, Bridge of Don, Aberdeen AB22 8JS UK