月夜間の港、奈良尾
奈良尾はかつて、奈良尾郷と呼ばれた漁村である。慶長年間、紀州和歌山県広浦の漁師が奈良尾を根拠として真鯛釣りを始めたことに由来するともされる。リアス式海岸のなか、急峻な山を背景に山にへばりつくように家々が立ち並んでいる。満月の頃は漁獲高が下がることから、月夜間には漁師がおかに戻って来て漁を休むのを月夜間という。五島の人たちは「つっきょま」ということもある。奈良尾港は、戦後には東シナ海を主な漁場にしており、満月の頃には船団が戻ってくる。この頃を描いた新日本紀行が以下のビデオである。昭和44年(1969年)の映像である。この頃の一種華やかな漁港の雰囲気は現在では見られない。
現代でも月夜間の頃、港を通りかかると、網の手入れをしていたり、停泊する船が増えたりと、当時の名残を感じることができるのである。奈良尾地区には入江の場所に従って、いくつかの集落があり、福見教会などが写っている。
長崎からの上五島の玄関口、奈良尾港
長崎からやってくると、奈良尾の町の見える様は切り立った崖の間に見える極めて小さなところにも見えるのである。有川や青方といった、上五島の他の集落が平たく、なだらかなところにあるようであるのに対して、奈良尾の雰囲気というのはどこか独特に映る。
岸壁の写真でも見られるように、月夜間のモチーフを船首方向に、トライアスロンのモチーフを船尾方向に配している。
奈良尾からの船の便は、ジェットフォイルが長崎・福江、フェリーが長崎・奈留・福江に就航しているのみである。上五島は佐世保文化圏とされるが、奈良尾までは長崎文化圏とされ、
観光情報センターでは、レンタルサイクル、しまとく通貨の発行、観光案内、離島カードの発行などを行なっている。
上五島の名産は有川を中心に見られる五島うどん、干した芋を使ったかんころ餅、すり身を使ったカマボコ、干物などがある。あまり島内では土産物店などはないため、このようなところでの購入となるだろう。かつては五島うどんの立ち食い店舗があったように記載があるが、現状では消えてしまっている。
奈良尾から有川・青方ある北側には急峻な山を超えていく必要がある。国道384号線も、かつての旧道の頃は曲がりくねった道を行くため、現在でも青方まで1時間、有川まで1時間半ほどの時間を要する。長崎からのアクセスには有川や鯛の浦までの高速船を利用する方が上五島北部へは良いのである。
dynamic-nagasaki.hatenablog.com
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追記)地獄桃先生のコメントを頂いたものに対しての追記である。
また、Covid -19下で開催が中止されているトライアスロン大会、上五島トライアスロン大会も奈良尾で行われている。警察署との大変なやりとりもあるようであり、担当されている歯科診療所の苦労も偲ばれるが、三十回を超えるまでになっており、長い歴史があるようである。スイム会場が奈良尾の入江、上記の新日本紀行の舞台である、を往復するという、なんとも独特な大会である。