おかみさんはマルチリンガル(?!)
おかみさんはすぐに長崎のどこの出身なのかを見抜く。「あんひとは茂木んひとよ」「式見っぽかさねー」などとすぐにわかるらしい。長崎市の辺縁にあるような集落ごとでは、方言が異なるらしく、名詞ですら、他所のものには何を指しているかわからないものすらある。
長崎弁と一口にいっても、これは長崎市内の方言をさすが、この概念には、長崎の町言葉や丸山の芸者言葉などまちっこの話し言葉に加えて、茂木弁、式見弁、樺島弁など、長崎の辺縁の集落の方言も含まれていると考えており、多様性のある言葉が息づいている。これまで紹介してきたのは大抵、まちっこの視点からの用法・意味である。この後紹介する茂木の言葉などは、山を一つ越えただけなのだが、舟で行き来するような集落群で、山が超えられない程険しかったのだろう、茂木弁というひとくくりの単語の一群を有するほどの違いが長崎の町言葉の違いがある。これらを瞬時に聞き分けるのだから、おかみさんは一種マルチリンガルに生きているらしい。
じげもん
意味
地元の人、地のひとを意味する。もんは者・物から来ている。地のものから、地元の産物をさす場合もある。
文法的事項
名詞
長崎市における地域・氏子ヒエラルヒー
初対面の人でも、すぐに「どこからきんなったとですかぁ」をジャブに、長崎市内における、諏訪の氏子ヒエラルヒーの中でのマウンティング闘争を開始する。あるおでん屋の若旦那なども、二言目には「じげもんですか」をかましてくるのだが、家のルーツが四国であっても、長崎県民にはじげもんとは呼ばせないように顔をしてすましている。稲佐出身の有名な歌手も長崎愛を語るようになったのは仕事がもらえるようになった最近のことであり、家のルーツは福岡なのだそうだ。長崎商人のルーツは福岡から来ており、450年前に海外貿易による利益を目指して、集まってきたのである。東京や京都のような古くからの人々が住んでいるわけでもない西の果てのもと寒村が、今では劣化版京都仕草を平気で行うのだから、ヤンキー版京都人は恐ろしい。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/121000/121100/p031184.html
氏子ヒエラルヒーは、長崎くんちの踊町とその周辺の集落を中心に形成され、諏訪神社に近い順に高位とされ、辺縁に向かうほどにその立場は弱くなる。長崎くんちは、結局は金と見栄の塊の祭りであり、徐々に神事としての意味が薄れてきた歴史を持っている。海外貿易による収益を得た、と言っても砂糖を右から左に流しただけの幕府の子飼い商人が、稼いだ金を惜しげもなく叩いて作り上げた長崎くんちのシステムは、どこか資本主義的なヒエラルヒーからなる。
踊町はこの商人による潤沢な資金を背景に贅を凝らした出し物をこさえ、農作業で足腰が強いという傘鉾の集落(岩屋、田手原、本河内、三川、女の都、柳谷)に150kg近くもある傘鉾を持たせ、金がないエリアの人々に神輿守町として神輿を担がせ、シャギリは裏山にあたる本河内、片淵から東長崎の人々に充てる。くんちは全て踊町でとりしきり、参加させてやっているというニュアンスで話をするのが、まちっこのくんち感であるが、神事の重要なところは他所の町に請け負わせているのも興味深い。各集落ごとのくんちには興味も寄せないのが、長崎のまちっこであり、地元愛高じて排他的になる側面をチラチラと見せてくれる。
こうして、長崎中華思想ともいうべき、ヒエラルヒーが形成されていく。長崎のまちっこは時には恐ろしい線引きを行なって回る。私が知る限りでは、「トンネル向こう」(戸町トンネルの向こうを指し、戸町以南の地区)、「川向こう」(中島川の向こう)、「対岸」(長崎湾を挟んで反対側、稲佐地区)、「駅向こう」(浦上以北)など、どこか差別的、侮蔑的なニュアンスでも使用される。このようであるから、長崎県民であっても長崎市の外(市町村合併時の合併地も含めて)の出身者は化外の地の扱いとなり、気安く、じげもんなどというと、白い眼を向けられる経験を県民は長崎市で味わうことになる。