2022年 長崎くんちの奉納踊りは中止 3年連続
2020年、2021年に引き続き、3年連続での奉納踊りの中止が”踊町関係者”によって決められたというニュースが長崎市内でも話題であった。理由として、諏訪神社の宮司のセクハラ問題を挙げており、Covid-19の蔓延に伴う奉納踊りの練習における感染リスクの高さに関しての言及が乏しい印象で、Covid-19下でのくんちのあり方ということはもう考えなくても良いフェーズに入ったと考えているのであろう。
NHKの4月28日発信の記事を引用する。
長崎伝統の秋祭り「長崎くんち」について祭りの運営を担う関係者らが会見を開き、祭りが行われる諏訪神社の宮司のセクハラ問題が解決できていないなどとして、「奉納踊り」などを断念すると発表しました。
「奉納踊り」などの取りやめは、去年、おととしに続いて3年連続となります。
祭りが行われる諏訪神社をめぐっては、長崎市の女性が神社の宮司からセクハラ行為などによって精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求める訴えを起こし、裁判が続いています。
「長崎くんち」で運営を担う諏訪神社の常任総代らが28日、会見を開き、ことしの「奉納踊り」などの開催を断念したと発表しました。
理由については諏訪神社の宮司をめぐるセクハラ問題が解決できず、宮司が祭りについての話し合いにも応じなかったことのほか、新型コロナの影響が続いていることも挙げました。
380年以上の歴史がある長崎の伝統の秋祭り「長崎くんち」は、去年とおととしも新型コロナウイルスの影響で「奉納踊り」などが取りやめになっていて、取りやめはことしで3年連続となります。
ことし、祭りを取り仕切る年番町だった元船町の中川進吾自治会長は「奉納踊りが開催できるように頑張ってきたので悔しい。来年の開催や諏訪神社の正常化を願っている」と話していました。
新型コロナウイルス感染症と長崎くんちの相性の悪さ
他所の祭りから比べると長崎くんちは異常なほどの練習量が必要である。6月の小屋入りから始まる正式な練習は10月7日のくんち本番まで、週4日から5日夕方の時間帯を使って行われる。また自主練習と称して、踊町においては11月頃より個別の体力づくりを行うのが一般的である。踊町の根曳(ねびき)ともなると16時ごろに退社し、夕方の練習に備えたりと職場への負担も大きい。昭和50年頃の練習の様子などが映像として残されている(NHK新日本紀行「長崎くんち」)。
練習が終わった後には反省会と称して、飲み会が行われるのが通例であった。小学生以下の子供たちもくんちの練習に駆り出され、鼓笛隊やら船に乗り込むお囃子やらで夜遅くまで稽古をすることとなる。叫び声をあげ、密な運動部顔負けの練習をし、夜遅くまでの飲み会までついてくるのが長崎くんちの練習なのであるから、Covid-19蔓延下では当然「くんちクラスター」からの「学校クラスター」「職場クラスター」への伝播が起こる。くんちの練習・運営を介したクラスターの拡大を防ぐ具体的な対応策は練られることなく、そのまま放置されてきたようなのである。政府が感染症対策に関するフェーズの変更を行わない限り、現状ではくんちは行えないのである。
宮司のセクハラ問題は一種のスケープゴートか?
さまざまな制限が依然として残っている日本国内では、現状開催は厳しい状況であった。メディアや市民の間では宮司のセクシャルハラスメントを問題視することにより、長崎市内でのCovid-19蔓延下における「長崎くんち」のあり方という問題点から目を背けているようにすら見える。
くんちの運営主体がどこなのか、今回の意思決定をどこが行ったのかがメディアなどでは報じられておらず、責任の所在を全て「宮司問題」として有耶無耶にしておきたいのが今の長崎市民なのであろう。長崎市内では、長崎カトリック教会における小児性虐待やパワーハラスメント、セクシャルハラスメント問題と並んで、宗教関係者による様々な倫理的な問題が絶えない。
長崎くんちは神事ではないという説
長崎市民においては、長崎くんちというと奉納踊りとしての娯楽の側面が多く、神事としてのあり方は大部分で無視されるような現状があった。神事としての側面は第二次世界大戦後の政教分離の方策による、くんちとしての祭りから奉納踊りを鑑賞する祭りとしてのシフトが起こり、一部の伝統的なくんちのあり方を信じるグループとの摩擦も過去には小規模ながら引き起こしてきた。行政においても、神事としてよりも観光や伝統芸能振興として扱われ、市の財政援助が運営・維持など各方面で行われている現状も不都合な真実として大きく語られることはない。
江戸時代を通して、キリシタン禁教と社会福祉対策の一環として行われてきた長崎くんちは元々は諏訪神社の氏子の神事の一つであった。これが今のくんちのあり方に変化してきたのは第二次世界大戦の敗戦による国家神道の否定であり、ここを出発点に、脱神道としてのくんち祭りがスタートしてきた。奉納踊りを前面に押し出し、市行政や商工会などが観光事業としての「くんち」、市民のフェスティバルとしての「くんち」を作り上げてきたのである。
1960年代には資金不足からくんちでの奉納踊りを行えない踊町も出現していたらしく、昭和50年放送の新日本紀行「長崎くんち」ではこのあたりをそれとなく取り上げている。行政として観光や伝統芸能保護を目的に資金を拠出し、踊町としても大して苦労をしなくてもくんちに出場できるようになった。1958年の「踊町に対する助成」の請願を端に発し、観光協会を介した神事に対する助成などと批判もあったが、押し切る形でレクリエーションの一つとしての答弁によりくんちの助成が徐々に制度化されてきた。この背景は大田由紀女史の「長崎くんち考」に詳しい。
現在では長崎市役所によると、一般財団法人自治総合センターのコミュニティ助成事業助成金を使って、各踊町担当の自治会に対して伝統芸能活動費補助金として、各自治会の保有する機器の修繕などに充てるよう250万程度が助成されている。これ以外に長崎伝統芸能振興会や長崎市郷土保存連合会などからの助成金として投入されており800万前後は投入されている。長崎市内でも各所で見られる集落のくんちに対しての助成が行われているのかも疑問である。
なお、これら行政や商工会などの助成があるに関わらず、詳細な会計報告は出されたという話は聞かない上、花代の豪華であった頃には打ち上げにハワイ旅行だ、韓国旅行だと出かけていたというのだから、部外者から見るとどこか違和感を覚えるのである。
このまま奉納踊りは息絶えるのか
Covid-19下でのなされた方が良い対策も無いまま、くんちの奉納踊りの開催だけを志向するのが長崎市民である。彼らがいう「くんち」は神事ではなく、奉納踊りを指しており、今回の奉納踊りの中止をさして「くんちの中止になったぁ」と瞬時に脳内変換されているのである。神事である自覚のないのであれば、何処か体育館の中ででも、適当な時分にやっておけばよさそうなものである。
過去のくんちの記事