沖合に展開して出来た県北離島向けのターミナル
もともと佐世保市における県北のターミナルは魚市と同様、万津(よろづ)町に位置していた。かつての卸問屋、漁具専門店、物流業者の並んでいるのはそのためで、道の幅などは古い時代に整備された名残である。どこか周りのマンション群と比べてみてもチグハグに見える。させぼ五番街、高速道路の高架のあるあたりの周辺は戦後新たに埋め立てられた。
現在の鯨瀬ターミナルのあるあたりはもともと佐世保川の河口にある岩場であった。1972年に万津地区に市営のターミナルが完成し、1965年に完成した鯨瀬埠頭とともに、上五島への船のターミナルとなった。佐世保駅からはやや遠く離れているが、海路で渡るしかない上五島へのターミナルとして、また陸路より時間の短縮できる平戸の南部や西彼杵半島の北部から島伝いに進む船の発着場でもあった。これは現在でも機能している。
バブル期になると、ポートルネッサンスとして、佐世保駅からウォーターフロントエリアとしての再開発計画が持ち上がる。1989年に現在の鯨瀬ターミナルが完成し、2003年に新みなとターミナルが完成した。鯨瀬ターミナルは上五島方面のターミナルであり、有川、宇久、小値賀方面の発着場である。新みなとターミナルは平戸南部、上五島方面へのアイランドホッピングルート、西海市方面へのアイランドホッピングルート、長崎の神浦港までのアイランドホッピングルートなどがあり、津々浦々への市民の足として機能している。
万津ターミナルは2021年に撤去され、現在は駐車場となっている。
新みなとターミナル
割合近距離の就航地への船便のターミナルである。西彼杵半島北部の津々浦々の港や平戸の南部の津吉、島伝いに上五島に渡る船便など多様な離島路線をカバーするターミナルである。
現在のパールラインや、それ以前の1955年に竣工した西海橋を通った国道202号線の整備以前には、陸の孤島と呼ばれていた西彼杵半島である。現状でも陸路を行くより高速船を使った方がアクセスが良い集落も多い。これより以前の江戸時代においても、急峻な山をいくつも越える必要からか、やはり人里離れた国境エリアであり、潜伏キリシタンの集落を多く有するエリアとなった。新みなとターミナルにおいては、このようなエリアと新興都市佐世保を結ぶ拠点となっている。
津吉商船、崎戸商船、西海沿岸汽船、瀬川汽船など中小の船会社が見られる。
- 津吉商船: 佐世保 - 相浦 - 前津吉
https://www.city.hirado.nagasaki.jp/kurashi/life/sumai/koutu/ferry/fe04.html
- 瀬川汽船:佐世保 - 横瀬西 - 小郡 - 畑下 - 川内
- 西海沿岸商船:佐世保 - 面高 - 大島 - 松島 - 瀬戸 - 池島 - 神浦
https://www.city.saikai.nagasaki.jp/soshiki/kotsu/1/1/2/3742.html
- 崎戸商船:佐世保 - 崎戸 - 江島 - 平島 - 友住
https://www.city.saikai.nagasaki.jp/soshiki/kotsu/1/1/2/1675.html
鯨瀬ターミナル
新みなとターミナルより遠距離の上五島方面への船便の発着するターミナルである。現在では上五島方面と佐世保を結んでおり、自動車を航送するフェリーは3時間程度、高速船では1時間半程度である。かつては福江と佐世保を結ぶ高速船も運航していたが、生活圏の違いなどからか、現在は廃止されている。