サセホ文化(仮)
佐世保には海軍、米海軍から流れ込み、地元のブルジョワジーから愛され、徹底的に彼らなりに昇華されてきた「佐世保文化」(仮称)があった。1960年代から1970年代に見られた、洋酒、洋食を中心とし、ホームパーティーを自宅でも開催する、米国的雰囲気を伴う、食を中心としたライフスタイルである。学術的に研究されたことはいまだに無いため、現在では改築や廃業により、少しずつその姿を消している。
佐世保は1886年(明治19年)に鎮守府が置かれたことにより一漁村が急速に発展した街で、旧日本海軍と歩みを共に発展した。海軍は英国的雰囲気だったといい、佐世保の文化的素地はそもそもがほとんど海軍によって、あるいは北部九州の労働者や出入りの商人の流入によるところが大きく、独自の土地の文化というものは相浦近辺まで行かないとみられない。当時、海軍の士官たちは海外への留学をするものもあり、ハイカラであったものがそのままそっくり佐世保に移植されることになって、もともとの文化的素地になったと考えられる。
戦後、海軍に代わって米海軍の基地が置かれた。現在では揚陸艦が配備され、軍人だけでなく、軍属やその家族などの滞在や住居もできた。ベトナム戦争中には、多くの米兵が佐世保から戦地へ向かい、慰問団として当時最先端のジャズ演奏が訪問し、市民もそれを横で聞いていたという。
数々の米軍の戦争、高度経済成長に伴い、市内でも所得の高い層が生まれ、彼らの家にはホームバー、リカーカートなどを備えるものも出てきた。佐世保スタイルとでもいうのか、局地的な流行を見せた、英国のチューダー様式、特にハーフティンバー様の内装を備えている内装を備えたレストラン・バーも市内各所に見られていた。これらは、1960年代、1970年代の海外映画などの影響も色濃くうけていた様である。食事は戦前からの(短い)伝統のドゥミグラスソースを多用し、地元の食材を使った洋食文化が花開いていた。洋酒は、古典的、スタンダードを中心としたカクテル、ブランデーやバーボンといった強い酒、ワインまでをカバーする、昭和期でも珍しい愉しまれ方だったようだ。
消えゆくサセホ文化の店たち
ガスライト
サセホ文化の中心的存在だったのは、ガスライトであろう。ウェイティングとしてもディナー後も楽しめるバーカウンター5、6席を備え、レストランでは、当時としては先進的な西洋風のコース料理を楽しめた。海軍の流れをくんでいるのかドゥミグラスソースなどは美味であった。食後にはドライマティーニ(ただマティーニとよんでいたようだが)をいただきながら、団欒を続けられたという。小さな噴水のあるパティオのようなスペースも備え、さながらヨーロッパやアメリカの映画のセットのようであった。一時期には一番館から五番館までを有していたといい、それぞれの店舗で、サービス形態が少しずつ違っていた。三番館は最後まで玉屋百貨店の前の路地にあり、喫茶店として営業していたが、2018年に閉店した。
レストラン門
サセホ文化の高みの一つはレストラン門だろう。レモンステーキ発祥の店とされているが、その実、フレンチの技法を生かした古典的な洋食と門風カレーとが看板のメニューであった。2000年ごろより前には佐世保駅前に位置し、外観も西洋風建築で、重厚感のある太い木材などが使われた内装であった。姉妹店である和田門が福岡市にあり、こちらは移転前の姿・雰囲気を有しており、メニューも佐世保の門と同じレシピである。2020年5月末に閉店となった。
その後、欧風料理 典として、オンラインでの販売を開始している。レストラン門、和田門の味を家庭で楽しみたい人には良い機会だろう。ビーフシチュー、ビーフカレー、元祖レモンステーキ、牛のたたきなどが手に入る。
玉屋レストラン
家族での会食、ビジネスでの食事、披露宴などの宴会でも使われていたのが玉屋レストランであろう。通常のメニューは、百貨店の食堂よりランクが高いものが用意されていた。メニュー内容は季節によって変化し、宴会の際には手の込んだ料理が供されていた。披露宴などでも利用されたため、サービスはホテルレベルであった。
入り口入ってすぐにはレンガ様の内壁が吹き抜けとなっており、披露宴での写真撮影なども行われていた様である。
残る店
確認できる範囲、以下の店が残っており、往時の面影を留める料理とサービス、メニュー構成に店の内装が残っている。今後、機会があれば紹介していきたい。
- 暖家
- ランプ亭
- らんぷ
洋食の町 佐世保
佐世保の洋食文化は、旧日本海軍が持ち込み、市民に親しまれて定着した。現在では伝統のドゥミグラスソースやそれを利用したカレーライスなどは観光資源になっている。特にこのメニューが看板というのはないのだが、佐世保市民それぞれが、○○のムニエルなどと言った形で、好みがある様である。450年ほどの短い歴史の中から育まれた伝統と保守的な長崎と違い、多様な文化を瞬時に受け入れ、それを地元のものと合わせて一つの形に昇華させている佐世保のひとの懐の広さの様なものを見て回ると良いだろう。佐世保には他県で活躍する人も多く、所縁の有名人も多く、割合コスモポリタンな気質があるのかもしれない。
サセホ文化に登場する店
はじめはタンシチューから。ランプ亭という小さなお店であるが、佐世保の洋食らしさがあふれる。
老舗の「らんぷ」ステーキサンドなどは、筆者のTwitterにも登場するはず。
米兵の間でも人気のアサクラは、おじいさんが以前はやっておられたが、奥様に代替わりして現在も営業中である。
名店、迷店ともいえるブルースカイはSSBBBAと呼んでいるおばちゃんが切り盛りしていて、これはまた大変佐世保のおばちゃんらしい気配りの行き届いた店である。
白ばらは、古き良き佐世保の時代を感じさせる店舗で、ぽるとのパーラーや蜂の家とならぶ、佐世保の洋食のアイコン的存在であった。
夜店通りの入り口に佇んでいたお店が、三ヶ町、銀座、長崎空港に店舗を構え、カレーは日本各地のスーパーに並んでいる。ここのシュークリームを出していた銀座のスナックがあったという話は、有名である。