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長崎県をDynamic Nagasakiとして見つめ直します。現在おっさんがちゃんぽん食べ歩いています。乗り物、旅行、自転車、ジョギングも!

「ちゃんぽん」とは その6 中華料理街から脱皮していく長崎中華街 ー長崎ちゃんぽんストリート化へのみちー

ちゃんぽんストリート化する長崎新地中華街

長崎の中華街がちゃんぽんストリート化が止まらない。通常、中華街というのは、その成り立ちから、華僑会館や中華料理素材と中華料理道具、中国か台湾の茶葉を売る茶屋、中華菓子を売る菓子屋、中華雑貨を売る雑貨屋、各地方からの中華料理店などが並ぶエリアで、華僑がコミュニティを形成して、この街の中で現地の言葉を喋らなくても暮らしていける街であったはずである。長崎に唐人屋敷が1689年に開設され、新地を正方形の倉街とし、屋敷に江戸時代を通して住まわせていた。開国後は現新地町エリアに定住し、今の長崎中華街の開設につながる。

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新地の倉街の名残りの一つ 正方形だった町の四隅に建てられた中華風の門

長崎においては、第二次世界大戦後から華僑の流出が続いた時代があり、少しずつ、本来の中華街の機能を失い、華僑が土着化してきたように見える。縮小し、土着化していく華僑社会であったが、その振り戻しなのか、改革開放初期の1985年に長崎の浦上の地に在長崎中国総領事館が開設されている。これも、長崎華僑自らが開設運動を行ったという。同時期から、中華街の有志により、長崎市の補助を受けながら、長崎春節祭、今のランタンフェスティバルが創始され、現在まで続いている。長崎市も、明治・大正、昭和を通して、産業・貿易・交通の要衝の都市であったが、徐々に廃れ、最後の造船業も先細りになりながら、観光都市化が進み、これに合わせて、中華街も観光中華街として変化してきた。本稿では、長崎における中華商人の歴史から、中華街の観光地化までを振り返り、いかに菲薄化し陳腐化したコンテンツとなってきたかをみる。

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テーマパーク、ちゃんぽんストリート化した長崎新地中華街

阿茶(アチャ)さんの街

長崎に唐人屋敷が1689年に開設され、新地を正方形の倉街とし、その奥の現在の館内町を中心に唐人屋敷エリアとして江戸時代を通して住まわせていた。開港時には、当時はまだ小さい集落であった長崎の市内で、各家庭に居候する様に住んでいたが、唐人屋敷ができてからは、密貿易の防止とローマ・カトリックの流布の防止の観点から、集めて住まわされた。広さは9400坪ほど、2000人の収容能力があったという。今の館内町のエリアである。

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唐人屋敷エリアに点在する福建会館や土神堂などの宗教施設は江戸時代のこのあたりの名残である

大陸からの来航船は、年、2〜3回ほど、毎回隻数は違うものの、清国の沿岸からやってきた。年間に4−6隻程度であった。日本は「鎖国政策」と言われる政策であったが、長崎の大陸・オランダ(バタビア)ルート、対馬の朝鮮ルート、薩摩の琉球ルート、松前の北海道・北方ルートの4方向での貿易を行っていた。長崎でのバタビアルートについては出島の項を見て欲しい。大陸人は、福建・広東・杭州あたりからの渡航者が多く、長崎奉行では、オランダ向けの通詞(通訳兼世話人)とともに、それぞれの方言ごとに通事を置いていた。

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現在の華僑会館

長崎の習俗にはオランダの影響を受けたと思われる風習はあまり残っていない。どちらかと言えば、中華大陸からの影響を色濃く受けたものが多く、派手な爆竹の見られる精霊流しやハタ揚げ、前に宴会スペースを備え花火ができる墓など、長崎県内でも北部九州でも見られない独自の風習が多いのは大体が中華大陸からのものである。この独自の習俗も、この街のものは大抵、長崎県内全域で行われると思っている節があるが、旧長崎市エリア(諏訪の氏子)のみの風習である。

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開国後、1870年の唐人屋敷エリアでの火災を契機に、現新地町エリアから市内広くに定住し、今の長崎中華街の開設につながった。ひとところに集めて住まわされていた清国の人々は長崎で商売を始める様になった。仕立て、散髪、調理人が手に職をという観点から多くの清国人が従事していた仕事であるが、中には大陸との貿易を始めるものもいた。当時の入国管理では、入国時に身元引き受けができる者が日本国内に居る必要があったため、大規模な中華系の商会やレストラン・旅館ではその業務も持っていた。神戸の開港地を中心に全国各地に華僑のものは散っていき、福建系華僑のネットワークが形成されたのもこの頃である。また、教育面でも、清国政府による長崎華僑時中学堂(のちの長崎華僑時中小学校、1988年)の設立も1905年である。中華民国の領事館の管轄であった頃までであり、その後、1988年、財政難を理由に閉校となった。

 

ちゃんぽんの登場もこの頃である。大陸人だけでなく、外来文化への興味の高さから、日本人の間でも、中華料理のレストランは繁盛していた様であるが、福建料理の肉絲湯圓から日本人の舌に合う様に変化させていったちゃんぽんはこの頃生まれた。

日本は明治維新、『文明開化』を経て、西洋式の近代国家に進んでいく中、日清戦争が勃発し、長崎でも敵国であった清国人の退去が進み、華僑の人数は急減した。多くの契機により、定住することの少ない華僑の人々は父祖の大陸や新天地に、次の土地を求めて去っていくものもいた。日本の勝利によって終わった日清戦争を契機に、どこか上下関係の様なものも生まれたのではないだろうか。

また、この時代は、大陸との相互の往来が長崎を起点に起こる時代でもあった。英仏などの欧米列強による租界が形成された上海との航路が開かれ、今度は日本人が長崎から大陸へ出かけていき、「下駄突っかけて上海に、羽織り羽織って東京に」というくらい、東京より上海の方が時間の面でも長崎の人々にとっては身近なものとなった。

大陸では辛亥革命に伴う清王朝の瓦解と軍閥の群雄割拠する不安定な時代を迎えた。この時代、大陸の中華系の人々は、北米などへの華僑として渡り、全世界へと華僑のネットワーク形成が進んだ時代でもあった。国としての上下関係が戦争によって発生し、かつての様なアチャさんと親しまれた清国人との関係性の様には戻らない時代となった。

盧溝橋事件前後にはさらに減少していった。第二次世界大戦中には、三菱の軍需工場・造船所が置かれていた長崎でも、空襲を警戒しての区画整理やスパイ防止の観点から住宅が移転させられたり、敵国人としての扱いを受けたりと苦難の時代であった様だ。海外で暮らす他国にルーツを持つものの常である様に。

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夜の長崎新地中華街(ちゃんぽんストリート)

大陸動乱と長崎中華街

長崎においては、第二次世界大戦後から華僑の流出が続いた時代があった。中華盆には崇福寺(唐寺)に華僑の人々が全国から集まり、お見合いをしたという話も残るくらい、長崎は日本国内にルーツを持つ華僑の結節点でもあった。福建ルーツの華僑には、神戸を分家のように、長崎に心の本拠となる墓や寺を置き、神戸で商売をしながら、春節や清明節など折々で長崎に帰省するものも一定数いる。古くからの福建料理屋などでは、ちらほらそういう話を聞くほどである。

日本国内での安定に伴い、縮小し、土着化し、拡散していく華僑社会であったが、その振り戻しなのか、改革開放初期の1985年に長崎の浦上の地に在長崎中国総領事館が開設されている。これも、長崎華僑自らが開設運動を行ったという。長崎ではあまり政治的立場を明らかにしておらず、国民党(台湾政府)か共産党(北京政府)かの違いが、横浜ほどそこまで色濃く残らなかったのは、小さなコミュニティであり諍いを好まなかったためか、初めから北京サイドであったのか、現状ではどちらの立場なのか、この辺りは現段階で筆者は知らない。長崎の土着民のように、江戸幕府下天領時代から醸成された雰囲気で東京政府をみて暮らすのに似て、常に大陸政府をみてきたのかもしれない。東南アジアでの華僑を介した政治工作などが知られるようになってきた現代であるが、同時期の領事館の開設と、華僑時中小学校の閉校という、北京政府の動向はいささか不審なものである。同時期から、中華街の有志により、長崎市の補助を受けながら、長崎春節祭、今のランタンフェスティバルが創始され、現在まで続いている。

少しずつ、高齢化に伴い、在住の華僑の数を減らし、彼らも市内各所に居住地を移し、海外進出をした新興華僑が形成するはっきりとした境界線はどんどんボヤけてきた。観光地化し、ちゃんぽんストリートとして、本来の中華街の機能を失い、観光地として開放される一方で、華僑が土着化してきたように見える。

終わりに

長崎市は、明治・大正、昭和を通して、産業・貿易・交通の要衝の都市であったが、どれも、徐々に廃れ、最後の造船業も先細りになりながらそれぞれの分野における地盤沈下が進み、辺縁の一地方都市化、観光都市化が進み、これに合わせて、中華街も観光中華街として変化してきた。

 

 今までの「ちゃんぽん」とは

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