#dynamic_Nagasaki

長崎県をDynamic Nagasakiとして見つめ直します。現在おっさんがちゃんぽん食べ歩いています。乗り物、旅行、自転車、ジョギングも!

長崎での平和教育(もう賞味期限切れ)

辺野古の高校生が亡くなった事故は平和教育の一環として行われてきたという。あのような凄惨な事故が起こっても、(平和都市)長崎からも(平和都市)広島からも何の音沙汰もない。市長や県知事から何も声明が出ることすらないのは異常である。一ヶ月も経っているのであるが。安全だから、でも、今回の追悼のメッセージ、でも何も出ないことははっきり言って異常である。この程度の首長が平和教育として、修学旅行の一環で各小学校中学校高等学校を招くことは果たして、道義的に正しいのか、安全で健康な状態で子供達をみなさんのご自宅に送り届けられるのか、わからない。

長崎の市内の人々の雰囲気であるが、遠いどこかの沖縄の事象であること、沖縄と長崎の状況(戦時中の状況も違うこと)、浦上で起こったことであり旧長崎市内(踊り町)のエリアではないこと(元々の差別感情があることは過去に触れてきた)、危険なことを行なっているという自覚がないことなどから、特に問題にすることもなく、ただ、修学旅行先として選んでもらえるだろうくらいに感じている様子である。

長崎での平和教育としての修学旅行は、子どもたちの心に大きな傷を残すであろう。これは、長崎県内のとある市で、小学校の6年間で、平和教育の名のもと、左翼的な思想をもとに折々に触れて、戦争に対する教育を受けてきた経験に由来する。世界史や日本史における、出来事の位置付けを示すことがなく(今回の辺野古のクルージングでもそうだが、辺野古の基地移設についての中立的な立場を示すことはなかった)、ただ、米軍による攻撃を示し、太平洋戦争や第二次世界大戦の経緯は一切知らされないまま、米軍憎しの文脈でのみ語られる戦争、平和を維持するための努力や必要なことが語られることなく、核兵器を有する中国やロシア、北朝鮮、有しようとした韓国については一切触れられることがない、核軍縮への運動など、矛盾点が多いのが、長崎での平和教育である。唯一設置されている中華人民共和国の領事館になにか運動をかけることもない。もし、長崎県内や広島県内で、平和教育という名のもとに、教育や事業に携わっている方がいるならば、手を胸に当てて、もう一度、目の前の子供達の行程が安全で害のないものか、考えてみてほしい。あちこちに瑕疵があるはずだ。路面電車の乗せ方、熱中症対策、修学旅行後の心のケア、何もなっていない。

そして、今、話を聞いている目の前の人は、何か政治的な意思を受けつけられ、あるいは、自発的にそれを習得した人々が多いのが現状である。自身が4歳やら5歳やらの経験で、自分で見た何かを覚えているのは稀で、誰かに聞いたか、何かを読んだか、誰かに言わされているか、そういう人たちが、語り部として出てくるのである。自分の言葉で語ることがないため、さまざまに修学旅行生徒とのトラブルも増えてきているように見える。平和関連の研究でナラティブなものを扱っている研究者に対しても、このあたりの精度管理がどうなっているのか、聞いてみたいところではあるレベルなのだ。

長崎市内での人々から見ると、長崎市内での平和教育は、辺野古のクルージングという名の抗議活動(大変異質で、新興宗教が絡んでいたり、政党が絡んでいたり、金銭のやり取りがあったり、会場での活動であったり)にくらべると、平穏なものに映るらしい。果たしてそうであろうか?実態について、何も知らず、表層だけをみて、判断しているのではないだろうか?自分たちが受けてきた、心のトラウマになっているレベルの凄惨な過去を子どもたちの心にキズとして刻みつけたい一心で、見過ごしていることはないだろうか?もう、この子達にとっての平和は自分たちの世代が教育されたような平和の概念で良いのか?長崎の人々はあまりに子どもたちの置かれる心の状態や、安全性について、不感症なのである。一つでも安全に瑕疵があれば、教育内容にまで瑕疵があるとされるのが、本来の状況であり、今回の状況は異常なことである。新興宗教の聖職者が絡んでいるからで、長崎ではカトリックが多いから、関係ないなど、他人事の発言も多い。イランの情勢についても発言があるが、実際のところがわからないため、あまりに色々なことを考えさせられる事態が続いている。

同じ世代となるであろう、今回の辺野古の家族の父親・母親の心情を思うと、いたたまれない。こんなことは、今の30代より若い世代の親になる世代には味わってほしくないと思っている。

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